mrS1 - みのわマック

みのわマック

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 まず、私がアルコール依存症を発症して、どんなふうになったかというところをちょっとお話しして、それから、なぜ、マックにつながったかということまでを、お話しさせていただきたいと思います。
 
 まあこの病気は、自分は今では体質的な病気だと理解しているんですけど、もともと自分は、子供の時には、「大人になっても酒は飲まない」という考えで育ったんですね。それはなぜかというと、自分の父親が酒のみだったからですね。父親が毎日飲んで、酔って・・・なんか飲みはじめるとダラダラダラと飲むんだよね。いろいろと同じことを何回も話しながらね。で、当然、夕食とかも遅くなっちゃうような状況が続いて、酔うとやっぱり、いろいろとくどくなったり、小言が出てきたりしてね。それから、一番イヤだったのが、夫婦げんかになるんですね。そういうのが嫌でしたね。
 
 父親も、飲まないときは普通なんだけど、飲むとそういう状態になっちゃうので、やっぱり「酒が悪いんだ」というね。だから、自分は大人になってもお酒は飲まない、と・・・そういう環境で育ったんですよね。
 
 後からステップとかやり始めて気づくんですけど、やっぱり、体質的なものとは別に、こういう自分が生まれ育った家庭環境とか、そういうのも依存症になる原因の一つにはなっているのかなというのは、今、思いますね。
 
 だから、そういう中で育ったのはね、あまりこう・・・人とうまく関われないというか、コミュニケーションが取れないというか、自分の考えを言ったり、そういうことができない環境に育ったような気がしますね。人から良く「大人しくていい子だね」とか言われてましたけど、そういうふうに自分自身の考え方とかを言葉に出せないというか・・・そういう環境に育ったんですね。
 
 で、「酒を飲まない」と思っていたのが、なんでお酒を飲むようになったのかという・・・そこなんですけど。
 
 私の実家は商売をやっていまして、長男でしたので、高校を卒業したら、家をつぐんだということで、長男だから家業をつぐんだということで育てられて、実際にそうなったんですけど、酒飲みのイヤな親父と一緒に仕事をするようになったんですけど・・・自分自身は、二十歳くらいまで、ほとんど飲まなかったですね。父親が、毎日飲んでましたから、よく誘われましたけどね。「お前ももう社会人になったんだから、一緒に飲もう」とかね。よく酒飲みの父親が息子と一緒に飲みたいとか、そういうふうに思うとかいう話がありますけど、まあ、その通りで、「たまには飲んだらどうだ」とか、いろいろいうようになりましたけれども、二十歳くらいまでほとんど飲まなかったですね。
 
 で、二十歳過ぎて、親父とではなくて、友達とですね、本当に年に何回か・・・お付き合いですよね。お付き合いで、酒を飲むことを覚えたんですね。
 
 高校生の頃、いたずらでちょこっと飲んだことはありましたけど、まあ、それ以上、ほとんど口にしなかった酒を二十歳過ぎて、友達と、本当に年に数えるくらい・・あと商売のお付き合いとかで、そういう酒の席に出るようになったんですね。
 
 で、まずこう・・・そういう関係でそうやって酒を飲むと酔うわけですよね。酔う・・・酒に酔うからあんなふうになってしまうんだから、自分は酒を飲んでも酔わないようにしようとか、なんか変な考えを持ってましたよね。
 
 そんな方法は、今考えればないんですけど、「酔わないように飲もう」とか、「小出しのみ」とかいいますけど、楽しんで飲むとか、味わって飲むとかいう飲み方じゃなかった気がしますね。
 
 最初に、付き合いで飲んだ時・・・飲むと酔うわけですね。そしたら、なんかいままで味わったことのないような感覚・・・自分が大きくなったような・そして、いままで言えなかったようなことも話せるようになったり、そういう感覚を覚えてね、「飲まない」と思った自分は、「あれ?これはもしかしたら、自分がこれから生きていく人生の中で、酒が自分の手助けをしてくれるかもしれない」と、そんな風に考えが変わりましたね。
 
 でもその裏には、「でも親父みたいにはなりたくない」という気持ちが常にあったんですけど。
 
まあ、そんな形で口にするようになりましたね。
 
 結局、そういうふうに飲み始めて、やっぱり親父と・・・毎日じゃなかったですけど、ときどき一緒に飲むようになったらね、やっぱりお互いに酔うからね、心配していたようなことが起こったわけです。なんかこう・・・必ず、飲むと、最終的に喧嘩になっちゃうわけですよ。
 
 あれほど自分がいやだと思っていた暴言を吐いたりすることも、自分自身もするようになって・・・そんなこともありながら、親父と一緒に仕事してたんですけども。
 
 私は結婚は早くて、24歳で結婚して、いまと違って、結婚したからと言って別々に生活するなんてことじゃなくて、同じ屋根の下で、親たちと一緒に生活が始まったんですよね。
 
 自分自身はそういう家庭に育ったから、多少の抵抗はあったけど、そんなに違和感とかは感じてなかったんですけど、結婚した相手・・・女房はごく普通の家庭で育って、そんな酒飲みの家庭に育ったわけじゃないわけですよね。だから、結婚して、親たちと一緒に、同じ屋根の下ですむようになって、そしたらやっぱり、まず女房が耐えられなくなっちゃってね。「私はもうこの家にはいられない」ってことになっちゃったわけですよね。
 
 自分自身も、そんなにはアルコールを飲むようにはなってなくて、常にそういう親父に対する反発とかの理由もあったわけで、結婚半年で、結局、家を出ることになったわけですね。
 
 今考えれば、夜逃げ同然というか、当然、話をしてもうまくまとまる話じゃないので、「じゃ、出ちゃおう」ということで、それで、田舎の方から東京の方に、本当に着の身着のままで出てきたんですね。
 
 そのころはまだ、そんなにはお酒も飲んでいなくて、当時はまだ自分も24歳と若かったですから、じゃあ、また元学して、ちょっともう一回勉強しようということで、お互いに・・・自分は洋服関係の仕事をしていたんですけど、少し学校に行こうということで、もと新宿にある学校に通い始めて・・・女房も。
 
 うちは女房はもと市役所の保護課のケースワーカーだったんですね。だけど、自分と一緒になったんで、自分も洋裁の勉強をしたいと言って、xxという学校に通い始めたんですね。
 
 本当に、東京に出てきたときは4畳半一間で、何もないところからスタートして・・・自分の学校は夜ということで、昼間は仕事をしようということで東京の職場を見つけて、そこで、昼間仕事して夜は学校に通うっていう。だから、そのころはまだ将来、やっぱり自分で自立して、お店をもって、ちゃんとやっていこうという希望をもって始めたわけですよね。そういう生活が始まったんですけども、まあ、就職した会社が、当時、大きな洋服関係の会社だったんです。東京都内に、新宿、渋谷、銀座、有楽町・・・そういう人気のあったところに七店舗くらいあるお店で。そういう大きな会社で仕事するようになったんですけど。まあ、昼働いて、夜学校に通うという・・・。結構、将来のことも考えたり、自分自身も希望をもってスタートしたんですけども。
 
 いま考えてみると、就いた職場がですね、同じフロアで30人くらいいた職場だったんですけど、毎日、仕事が終わると、職場でまず酒飲みをする・・・何人か集まって酒飲みをする職場だったんですね。自分もしばらくの間は、自分はその中に加わっていなかったんですけど、なんかいつの間にか仲間に加わるようになったんですよね。だから、その辺からですよね、毎日飲むっていうのが始まったんです。大体、26歳くらいですかね。就職してしばらくの間は、そういう仲間に加わっていなかったんですけど、26歳くらいで、毎日飲むってことが始まったんですよね。
 
 とりあえず、職場で飲んで・・・そこで済むわけじゃないんですよね。よく「下地を入れて」とか言ってね。まあ、外で飲むとお金がかかるから、当時、若くて収入はそれほどないし、お金もないし・・・だから、まず「下地を入れて」、それから外に飲みに行こうという、そういう職場だったんですよね。まあ、それも高級な店じゃなくて、外の赤提灯とかね、居酒屋とかその程度だったんですけど。まあ、ほとんど毎日、酒飲みをする職場だったですね。
 
 自分もいつの間にか。その仲間入りをしてね。多分、26くらいですよ。そこから、毎日飲むということが始まって・・・いま考えれば、もともと自分はそういう、この病気の特徴である「コントロールできない」、一杯飲んじゃうとコントロールできないっていう体質を持っていたと思うんですよ。ですから、飲み始めると・・・要はこう「外に飲みに行くか」っていくわけですよね。そこで、一軒、二軒と、梯子酒(はしござけ)とかいうことがはじまって・・・。でも、当時のことを振り返ってみても、やっぱり自分は普通の人とは違う飲み方だったなって思いますよね。
 
 それは、そういう一緒に飲む飲み友達も、ある程度・・・外で2杯、3杯飲むと、みんな「あ、これで今日は十分だ」とか言って、さっさと切り上げるわけですよね。ところが、自分はそうはいかないんですよね。そうすると、2杯、3杯じゃすまなくて、「もう一杯飲みたい」っていうのが常に起こってくるんですよね。この病気の特徴ですよね。だから、周りの飲み友達は、「満足満足」とか言ってさっさときりあげるんだけど、自分はそれができないんですよね。もう一杯飲みたい、もう一杯飲みたいって・・・その辺から、本当に、いま考えると、まあ「進行性の病気」とかいうけど、どんどん、飲む量とか、飲む頻度とか、それが進んでいっている気がしますね。
 
 で、まあそんなことを何年かして、ほとんど毎日、二日酔い状態でしたよね。最初のころって、二日酔いは気分悪いですよね。朝、家でとりあえず目が覚めるんだけど、気持ち悪いし、吐き気がするし、体はだるいし、ものは食べられないし、「ああやっぱり、ゆうべ飲みすぎたからこうなっちゃうんだ」って。
 
 その辺から「今日こそは飲まないで。よそう」とか、そういうことが始まったんですよね。でも、朝、「今日は飲まないで。よそう」と思っても、今振り返ってみると、当時はまだ若かったからね、二日酔いしてても仕事に行っていたんですけども、夕方になると酔いがさめて、気分が少し良くなってくると、朝、今日は飲まないと決めた自分は、ころっと考えがかわっちゃうんだよね。「昨日は飲みすぎたからいけないんだから、今日こそは、飲みすぎないように・・・」っていう。もう、飲む方向ですよね。朝、飲まないと思った自分が、夕方になると飲む方向の考えになってるわけですよね。それで、また飲む。そうすると、いくら自分で「今日は3杯にしておこう」と思っても・・・当時、「3杯」にしておこうとか思いましたからね。当然、毎日、その倍だか・・・よく分からないですけどね、飲んでいたわけですね。そういうふうに、杯数を決めて飲み始めるんだけど、3杯じゃやめないんですよね。やっぱり、また、もう一杯ほしい、ということが始まってね。そんなことの連続になりましたね。
 
 そんなことを何年か続けるうちに、30歳前後ですかね・・・ブラックアウトが起こり始めるんですよね。まあ、それ以前も何回かあるんですけど、そのころになると毎日ブラックアウトするような状態になっていて。とりあえず、どんなに酔っても家にはどういうわけか帰るんだよね。だけど、朝、目が覚めてみて・・・夕べ、飲んで、あるところまでは覚えてるんだけど、そのあとどうなったか、どこで飲んで、どうなって、どう帰ってきたかとか、そういうことがプツンと記憶が切れちゃうことが起こり始めたんですよね。それだけじゃないですよね。いろんなものを途中でなくしてきたり、泥だらけになって帰ってきたり。だけど、自分で記憶がないんですよね、どこでどうなったかっていうのがね。そういう状態が30前から始まって、なんかおかしいな、どうも人とは違うっていうのは、自分でも、感じてましたよね。
 
 飲み友達も結構いたんですけど、そんな自分みたいな飲み方をする人はいないわけですよね。みなさん、ある程度飲むと、さっさと切り上げているんだけど、自分は、自分の意思で、「今日はこれでやめておこう」って、毎日飲むなかでも、やった記憶がないんですよね。要はもうその辺からずっと、ほとんど必ず二日酔いするような飲み方がはじまったわけですよね。
 
 30歳くらいから、いろんなところに障害が出てきましたよね、お酒のために。まず仕事を休む。最初は、昔よく言われた月曜病・・・土日になると当然に・・・その当時は朝から飲んでたわけじゃないんだけど、休みなんだから朝から飲んでもいいだろうと、その辺から朝から飲むようになってね。で、朝から飲んで、月曜日になるともう仕事に行けない状態が起こってきて、休むようになって。それと同時にですね、自分は飲み方自体もおかしいんですよね。いま考えると、本当に健康的な飲み方じゃないっていうか。ぐいぐいぐいぐい飲んじゃう。で、ものを食べないんですよね。だから自分は飲み屋に行っても、おつまみとかとった記憶がないんだよね。お通し、お新香、そういうものだけ。ほかの人たちはいろいろおつまみをとって、それをとりながら、楽しみながら飲んでるんだけど、自分の飲み方っていうのはただ酒を飲むだけ。ものも食べないでね。体にいいわけないですよね。いま考えてみるとね。
 
 その辺から、仕事を休むようになったり、体に不調が出てきましたよね。だるくてしょうがなくて、病院にいくんだけど・・・まあ、酒のことを聞かれますよね、当然。だけど正直に言わないですよね。「どのくらい飲むんですか?」「・・・まあ、一日、3合くらいですかね」とかね。
 
 もう当然そのころ、自分には記憶がないですけど、その倍とかそれ以上、飲んでるわけだけど、病院の先生も「3合くらいじゃねえ・・・でも、まあ毎日飲むのはよくないから、週に1日とか2日とか、休肝日を設けなさい」とか言われて。でも、とくに体が悪いところはないということで、最初につけられた病名は、仕事に行きたくないとか、だるいとかで「自律神経失調症」とかいう病名をいただいてね。病院の先生も困るんでしょうね。酒のことも正直に言うわけじゃないから、いまから考えればすべてそれが原因なんだけどね。
 
 で、そんなことをしながら・・・ものを食べないで飲むだけだから、内臓に負担がかかりますよね。肝臓とか、胃とか腸とかに。で、やっぱり最初につけられた病名が、肝炎。ただの肝炎じゃなくて、アルコール性肝炎というね。その辺から、体のいろんなところに変調をきたすようになりましたよね。
 
 自分はあまり医者にはいかない方だったんだけど、飲み続けていくうちにやっぱり、血を吐いたり、下血したりするようになったんですよね。当然ですよね。で、病院に行ったら、胃潰瘍とか十二指腸潰瘍だとか、そういうふうに・・・まあ、まず肝臓ですけど、胃とか腸とかいろんなところに障害がでるようになってきたんですよね。
 
 休肝日を設けなさいって言われて、じっさいに自分でも飲みすぎるっていうのは、自分でも不思議でしょうがなかったんですよね。なんで自分はこうなっちゃうんだって。いくら決めても自分で守れない・・・なんなんだろうっていうね。当時、病気のこともわからないしね、そういう病気があることさえ分からなかった自分だからね。なんなんだろうっていうか、そういう不思議に思っていたんですけど、完全に依存症になっていたわけですよね。
 
 休肝日もやってみましたよ。さすがに2日とは思わないよね。じゃあ、1日だけ飲まない日を設けようとか、やってみたけど、1回ですね。とりあえず今日だけは飲まない・・・まあ、要は病気も分かってないし理解してないし、我慢ですよね。飲みたいんだから。飲みたいけど、体を壊すし、1日だけやめてみようと、やめたことがありますよね。だけど、たった1回ですよね。だけどもっと悪いのは、そのころは3杯だけにしようと思ってたからね、2日目になって、じゃあ昨日休んだから今日は3杯飲もうと思って、飲むんだけど、やっぱり3杯飲んでも満足しないんですよね。で、もう1杯飲みたいっていうのがあって。それを2、3日我慢するんだけど、我慢は続かないですよね。三日坊主って言われるけど、その辺になると、1杯くらい大丈夫だっていうのがはじまって、そしたら、それが始まったら次の日はもう1杯がもう1杯。あっという間ですね。また、もとの飲み方に戻ってしまう。そんなことの繰り返しでしたね、何年間か。家族もね・・・自分は家族もいて、子供も3人いるんですけどね。よく、そういう状態で家に「へべれけ」になって、帰ってくるわけですよね。よく女房に言われてましたね。「お父さん、飲んでもいいんですよ。いいんだけどどうしてそうなるまで飲むんですか?」ってよく言われましたよ。
 
 じゃあ今度はね、約束するから・・・飲まないようにするからって。週に1日、休肝日とかもそうなんですけどね。やっぱり家族と約束してそういうふうにするからっていうことでやるんだけど、やっぱり守れないんですよね。まあ、いろいろ約束事をするわけですよ。だんだんそういうことの回数が進んで、最後にはもう一緒にはやっていけないって、離婚の話が出てきたりしてくるわけですよ。そうすると、平身低頭、もう今度こそやめるから離婚だけはやめてくれって、誓約書とか書くわけですよね。当時のことを考えてみると、あながち嘘じゃないんですよね。自分でもそうしたいと思うんですよ。でもいま考えれば、病気だから、そんなコントロールなんかできるわけがなくて、また同じことになっちゃうわけですよね。まあしばらくはやるんだけど、我慢して。でもまた同じことを繰り返す。そんなことを何回となく繰り返して、内科の病院にも何回か入院してるんですよね。最初は、肝炎、そのあと胃潰瘍で入院したり、十二指腸潰瘍とかでも入院したり。そういうふうにいろんなところに障害がでて、当然、仕事なんかできなくなってね。
 
 そんなことが続いて、最終的に精神病院に入院したのは、35歳のときでしたね。
 
 その時の状態が、当然、連続飲酒が始まって、仕事もいけなくなって、家の中に閉じこもって、目が覚めてる間は飲まなきゃいられない。もうそういう状態になっていましたよね。それで、最終的にどうなったかっていうと、最後には、お酒も受け付けなくなっちゃったよね。飲んでも吐いちゃう。血を吐いたり。その頃ですよね、血を吐いたり下血したり。前にもあるんだけどね。そういう状態でね、いま考えると禁断症状っていうかね、手が震えるどころの話じゃなくて、体中ががたがたがたがた震えるような状態で、で、はじめて「助けてくれ!」っていうか。酒を入れれば治まるんだけど、お酒を口に入れても入んないんだよね。吐いちゃう。前は何回かやってると入るようになったんだけど、それもできなくなってね。そういう状態になって、「助けてくれ!」っていうことで、初めて精神病院に入院てことになったんですよね。その時に初めて、自分は「あなたはアルコール中毒です。病気です」っていうことで、はじめて宣告をされたわけです。
 
 アル中って言われても、自分は、「ああ、とうとうなっちゃったか」という感じだったんですけど、病気って言われても当時は納得できなかったですよね。
 
 やっぱりどういう病気かもわからないから、よく言われていた意思の問題だろうとか言われてて、自分自身もそう思ったしね。なんで自分で(飲みたくて)飲んで、それが病気なのとか屁理屈を付けて・・・病気っていうのが当時、受け入れられなかったですよね。
 
 でも、自分はそれまで本当に、やめようという気にはなれなかったですよね。そういうことを口にしたことはありますよ。だけど本心からやめようというより、やってきたのは、なんとか飲みすぎないようにうまく飲む方法はないかっていろんなことをやってきたんだけども、まあ、ハンドブックの3章とかに出てくるけど、うまく飲む方法はないかなんて数えきれないほどいろんなことをやってきたけど、結局はまあできなかったわけですけど。
 
 やめようって気持ちには、なかなかなれなかったですけど、その最初の精神病院の入院で、病気を理解して、とかじゃなかったんですけど、しばらくやめたほうがいいかな、っていう、そういう感じですよね。それは、さっき言ったように家族がいて、子供が3人もいてね、当時まだ小学校1年生くらいですかね、1番上が。で、7歳、5歳、3歳の小さな子供たちがいて。やっぱり、子供たちのことを病院で考えましたね。これから子供たちが育っていくのに、親父が酒を飲みすぎて精神病院なんて、これはまずいだろう。だから、しばらく休もう。
 
 やめようとは思わなかったですね。その病院からね・・・当時はまだAAは始まったばかりで、たぶん2年目くらいかな、だからAAはあまり知られていなくて、断酒会ってところがあるから、お酒をやめる気があるならいってみなさいということで、断酒会に出るようになったわけです。
 
 そしたら、やっぱり仲間がいたわけです。そこで・・・当時、週2、3回そういう集まりがあってそこに出るようになりました。とりあえず、しばらくやめようということでね。決心してみたんですけど・・・まあこの病気は恐ろしいなと思いますね。それは、そういう決心をして退院になったわけですけど、当時、退院するときには女房がまだ迎えに来てくれたんだよね。まあ不思議なことに、3ケ月入院してたらね、アルコールを飲みたいっていう感情、毎日起こっていた飲酒欲求がだんだん消えていってね、なんか飲酒欲求が病院の中でなくなってきたんですよね。だから、「ああこのままの状態で行ったらやめられるかもしれない」と思うようになってね・・・で、退院になって、近所のバス停からバスに乗って帰るんですけど、そのバス停に行ったら目の前に酒屋があったんですよね。そして、「酒」っていう看板を見ただけでね、なんか「うわー」って感じで飲酒欲求が沸いてきたんですよ。おそろしいですね。いくら自分で決心しようが何をしようが・・・ただ、そのとき飲まなかったのはね、たぶんひとりだったら飲んでたでしょうけど、女房がいたから飲めない、当然、お金もなかったから飲めなかったんですけど、「酒」っていう看板を見ただけで底から沸き上がってくる欲求、「飲みたい!」っていうね。あれは今考えてもおそろしいですよね。
 
 まあそんなこともあって・・・要は、いくら決心しても、病気もわかってないし・・・だから飲みたいんですよ。毎日、飲みたい飲みたいって飲酒欲求が出てくるわけですよ。でも、我慢。自分で決めたことだから今度こそ守ろうとね、我慢ですよね。
 
 当時自分が思ってたことはね、自分は酒が問題で、酒さえ飲まなければなにも問題ないとか、普通に生きていけるとかね。人とも普通につきあっていけるとか、そういう風に思っていたんですけど、そうじゃなかったんですよね。
 
 お酒を飲んでなくても、毎日が苦しいんですよね。いま考えると、要はお酒を飲んでいないだけで、よくAAで「ドライドランク」って言葉がありますけども、「飲まない酔っ払い」。飲まない酔っ払いがそのまま退院してきたわけですよ。だから、飲酒欲求は起きるしね。ただ、自分が思っていたのは酒だけが問題で酒さえやめられたら普通に生きていけるとか、生活していけるとか思ったけどもそうじゃないんですよね。毎日、もう落ち着きがないっていうか、イライライライラして、怒りが出て・・・で、行動って言ったら「酒飲まないんだから何をやってもいいんだよ」とかね。今度はそれを紛らわすために、ギャンブルですよ。
 
 パチンコ行ったりね。いろんな現場でやりましたね。競輪もやったし、競馬もやったしね。パチンコ、麻雀・・・今度はかけ事ですよ。ギャンブルの方に走っちゃう。
 
 今考えてみると、ギャンブルも、自分はコントロールできないですね。パチンコなんかやりはじめると有り金全部使っちゃう。で、金持っていくから使っちゃうんだから、今日は三千円だけもっていってこれがなくなったらやめようとかね、思うんだけどだめでしたね。金がなくなったら今度は時計を質に入れたりね、最後は結婚指輪とかも質に入れてパチンコをやる。そういう風にね。いまは分かりますよね。自分は、そういういろんなことにコントロールができない体質。特に、お酒とかギャンブルとかそういうものにね。あとは感情ですよね。感情も、当時はコントロールできなかったですよね。だから怒りが出れば怒りをもろに出しちゃうしね、そういうことでしたよね。
 
 そんなことがあって・・・でも苦しいながらも断酒会の例会に出ながら、我慢・我慢の連続でしたけど、とりあえず5年、そのときはやめたんですよね。
 
 そのころ、周りによくいわれたのは、「あんた意思強いね。あれだけ飲んでたのに酒やめたの」とかいわれてね、「あんた、意志が強いんだよ」とか言われてその気になっていましたけど。意思は強くないんですよね。やっぱり、その時も、自分一人でやめてたわけじゃなくてね、例会があって、仲間がいて、仲間と一緒にやってたからやめられたわけでね。ただ、当時、自分が思ってたことは、酒だけが問題で、酒さえ飲まなければ何も問題は起こらないだろうと思ったけど、そうじゃなかったわけですよね。いろんな、要するにドライドランクっていうか、飲んだそのままに生きてきた。だから、自分は全然、楽になれない。毎日苦しい生き方。人とうまくいかない。家族とうまくいかない。そういう状態でしたね。
 
 だから、本当にこう・・・そんなの限界がありますよね。必ず飲んじゃいますよね。やっぱりそのことは自分にも起こりましたね。とりあえず入院して、最初の入院で、それまで一生の仕事としてやろうと思ってた仕事をやめざるをえなくなっちゃってね、新しい仕事に就くんですけど、今度は仕事が続かないんですよ。やっぱり、人とうまくいかない。人の言うことがきけない。反発する。で、「もう、こんな会社いられるか」とか言ってやめちゃうわけですけど。でも当時はそういう理由付けをしてましたけど、やっぱりそれも今考えれば、「自分」ですよね。自分の生き方、考え方、行動、そういうものがもう本当に健康的じゃなかったというか、病的な生き方、考え方、行動をしてたわけですよね。だから飲んで当然なんだけど・・・。
 
 5年、やめてたんですけどね。ちょっとしたきっかけだったんですけどね。仕事にも就いて…就いた仕事は3年半くらいで会社が倒産しちゃったんですよね。でまた仕事を変わらなきゃならなくなってね。でもその時にね・・・自分は、飲まなければ仕事とか一生懸命やるんですよ。で、その取引のあった会社の社長さんがね、自分を見ててくれて、倒産したときに、じゃあウチにきなさいよってことでね、まあ小さな会社でしたけど、そこで雇ってくれたんですよね。
 
 ところが、その仕事っていうのが、いままで自分がぜんぜん経験のない、知識もない、全然違う業種だったんですよね。ただ、問題は、自分は何でもできるんだと、そういう思い上がりというか、それがあって、これも自分の問題ですけど、分からないことがあったら人に相談するとか、助けを求めるとか、そういうことができなくてね。
 
 で、その社長が誘ってくれて・・・くれたのはいいけど、なんかね。仕事は一生懸命やっていたものですから、そういうのを見ててくれて、まあ小さい会社なんだけど、生産管理課長とかいう役職付きで自分を拾ってくれたんですよね。そしたら自分はもう何でもできるんだということで、今度はどういう状況になったかというと・・・今度はワーカホリックですよ。
 
 いまも言った通り、知識もないし、全然違う業種ですから、分からないことだらけですよ。だけど、自分は何でもできる。それともう一つは、自分が人に相談したり、助けを求めることができない。自分でやらなきゃ、できるんだという。できもしないのにね。
 
 結局、ひとりでやっちゃうっていうか、できもしないのにね。結局、毎日毎日、11時とかね、12時とか。そういうことになっちゃったわけですよ。完全にワーカホリックですよね。
 
 それが約1年くらい続いたんですかね。もう本当に疲れ果てちゃってね。結局どこにいったかというと・・・1杯に逃げちゃったんですよね。
 
 ふと気づいたら、飲んでたんですよ。1杯。
 
 そしたらね、5年もやめてると、耐性が弱くなるというか、そのとき缶ビール1杯飲んだんだけど、缶ビール1杯で酔ったんですよね。ビールなんか以前だったら、水だとか言って飲みもしないような。だけど、缶ビール1杯飲んだら、酔ったんですよね。そして、フワーっとしてね、いい気分になっちゃってね。そしたら・・・あれは本当に恐ろしいですよね。やめてるときは、やめる方向の・・・まあ苦しいやめ方だけど、やめる方向の考え方ができてたんだけど、一杯飲んだとたんに、飲む方向に考えがころっと変わっちゃう。「ああ、缶ビール1杯で酔った!オレ、大丈夫なんじゃないか」って。まあ、病気って言われているけど、これでうまく飲んでいけるんじゃないかってね。
 
 その間に仲間と一緒に例会に出て、仲間の話をいろいろ聞いて、また一杯飲むともっとひどくなるよ、とかね。また止まんなくなっちゃうよとか、また精神病院だよとか、最後は死んじゃうよとか、そういう話を聞いて、現実にそういう仲間の姿を見て、ああそうなんだって・・・飲まないときはそういうことが考えられているんだけど、一杯飲んだとたんに、もうそういう考えから、飲む方向の考えにいっちゃうんですよね。
 
 ああ、自分はもしかしたら・・・まだ病気をちゃんと理解してないからね。うまく飲めるんじゃないか・・・いままでいろいろ話を聞いてるし、知識は入ったから、今度こそ前みたいな変な飲み方しないで、ちゃんとコントロールしてできるってね。コントロールしようっていうね。もう、飲む方向ですよね。その考えになっていてね。
 
 だけど、やっぱり頭の中にあるのは、前みたいになっちゃ困るなっていうね。だから、慎重に飲もうと思って。まあ、一杯飲んじゃったからしょうがない。「しょうがない」ですよ。今度こそ、前みたいな飲み方じゃなくて、ちゃんと・・・ある程度知識も入ったから、もうあんな変な飲み方はするはずがないっていうか。だからちゃんとコントロールして飲もうとか、決めて飲もうとか・・・飲み始めたんですよね。
 
 だから、結構慎重に・・・最初は1週間に1日だけにしようとかね。でも、それも1回でしたね。で、1週間たって飲んで、そしたら1日が2日になり、3日になり、4日になり、あっという間に毎日飲むようになっちゃって。量も、最初決めただけですんでればいいけど、またもう1杯もう1杯になっちゃってね。もう、あっという間にもとの飲み方に戻っていくわけですよね。
 
 で、やっぱり自分でも気づきますよね、まずいなこれは、また前と同じことになっちゃう。じゃあ、何とかしようと思うんですけど、もう当然ですけど、そのサイクルに入っちゃたらもうどうにもならないですよね。あっという間にまた・・・半年もかからなかったですよね。もっとひどい飲み方になっちゃって・・・ということでね。もう止まらなくなっちゃったわけですよね。
 
 結局、あれほど面倒を見てくれた社長の仕事もできなくなっちゃって、仕事もやめざるを得なくなって。
 
 それからですよね。2回目の入院が始まったのは。
 
 5年飲んで、1回やめて、約半年。半年で前よりひどくなっちゃいましたね。で、「ああもう自分じゃどうにもならない、止められない、そうだ精神病院だ」ってね。精神病院に入れてもらえば治まるってことでね。
 
 で、2回目は自分からお願いに行きましたよ。「入院させて下さい。お酒が止まらないんです」ってね。そういうことがあって、とりあえず2回目の入院になって、それからが自分はひどかったですよね。とりあえず3か月入院させてもらって、お酒が切れて、「ああ、このまま出ればまたもう1回やり直せる」って思って退院するんですけど・・・まあしばらくは飲まないんですよ。半年・・・最初は半年くらいもったかな。でも、退院したらやっぱり飲みたいんですよ。で、結局、1杯飲んじゃうわけですよ。そうするとまた同じことを繰り返す。また自分では止まらなくなっちゃって、また入院、といことですよね。
 
 結局、2年間の間に4回、入退院を繰り返しちゃったわけですよ。まあ、よく進行性の病気っていうけど、本当にいろんな面で進行していきますね、悪くなっていきますね。飲み方もそうだし、期間もそうだし、どんどん短い間に悪くなっちゃって、その2年間の間に4回も入退院を繰り返して、それで最後の病院を退院して、まあしばらくいたんですけど、また飲み始めちゃったわけですよ。
 
 で、そのころから、もう本当にね、2年間の間っていうのは自分はこう・・・女房は働いてましたからね、女房の扶養家族・・・保険証に入れてもらってね、扶養家族になったんですよ。で、飲ましてもらって、食わしてもらって、病院に入れてもらって・・・そういう生活だったんです。いろいろそういうことが重なって、やっぱりそんなこと自分でもいいとは思ってないんです。やっぱり自分で何とかしなきゃと思うんだけど、もうどうにもならない。結局、飲んじゃう。飲んでたまらなくなっちゃう。で、5回目退院してからまた飲み始めたわけですよ。
 
 さすがにその当時、自分はなんにもできないということになってましたよ。仕事もしなきゃと思うんだけど、それもできない。ああこれはもうだめだって言うか、自分はもう生きていけないって言うか、これ以上迷惑かけられないって言うか、そういう気持ちで・・・早く楽になりたいっていうかね。
 
 苦しいんですよ、毎日毎日。で、死んじゃおうってことでね。自殺をするわけですよ。自分は焼身自殺をしたんですけどね。ガソリンを車から抜いて頭からかぶって、火をつけて・・・。
 
 だけど、まあ本当に今考えるとハイヤーパワーって言うか、幸運が重なったというか。家の前に小さな川があって、その土手で頭からガソリンかぶって火をつけて、ぼあっと一気に火がついたときにね、あれは熱いんですよね、ガソリンだから一気に来るんですよ。熱くて思わず川に飛び込んだんですけどね。いつもは、そんなに水のない川なんですよ。せいぜい、10センチか・・・ちょろちょろ流れるくらい。だけど、不思議なんですけど、当時、飛び込んだ首のあたりまで水があったんですよね。それで、飛び込んだおかげで、まあちょっと頭の毛とかなくなったんですけど、少しやけどして。そこで、命が助かったんですよね。
 
 そこからですよ。それから・・・やけどの治療で1か月入院して、やけどの治療が終わって・・・でも家に帰ってきてもらっちゃ困るって、もう一回、病院に入院してくれっていうんで、それで最後の精神病院に入ったんですけど、その病院がね・・・いままで何回か入ってる病院は全部断られてんですね。で、その病院が受け入れてくれて・・・そこからなんですよね、自分にとって。
 
 その病院が、プログラムを持っている病院で、夜、AAのミーティングに出るっていう、そういうプログラムのある病院だったんですね。で、私ははじめて病院からAAのミーティングに出て、そこで、当時、仲間が何人かいたんですけど。ひどい仲間がいたんですよ。精神病院に10回入ったとかね、20回入ったとかね、刑務所までいったとかね、カアちゃんに逃げられちゃったとかね、借金だらけになっちゃったとかね・・・そういうひどい経験をしている仲間が、なんか笑いながらそんなひどい話をしているわけですよね。なんか最初出たときに、不思議な感じがしましたよね。なんなんだろう・・・こんな自分の恥さらしを、笑いながら話ができる・・・なんなんだろうっていう。でも、そういうひどい経験をした仲間が、元気な姿で、お酒をやめてる仲間に出会ったんですよね。
 
 で、AAってなんなんだろうっていうか、そのときに自分は不思議な感覚をもらったんですよね。まあ、今言えば霊的な部分だと思うんだけど。こんなひどい経験をした仲間がどうしていまお酒を飲まないで元気で、笑いながらいられるんだろうっていうかね。で、自分も、じゃあ退院したらAAにつながってみようってことで、AAにつながったんですよね。
 
 まだ、当時、私は埼玉ですけど、埼玉にはまだAAのグループは2つしかなくてね。もともと・・・たぶん、AAがはじまったグループなんですよ。で、そこに、退院して、自分はね・・・もう誰も迎えに来てくれないから、はじめて自分の足で病院の退院の紙袋・・・洗面道具だとか下着だとかそういうのの紙袋を下げてね。ちょうど、月曜日だったですけど、ミーティングがあったので・・・まあそのグループは毎日ミーティングがあるグループだったんですね。で、ミーティングに自分の足で行くことができたんです。
 
 それが、自分のAAとのはじめての出会いだったんです。
 
 それで、一緒にやらせてくださいっていうことで、仲間が、よくきたねって一緒にやろうって迎えてくれて・・・そのときに、仲間が言ったのが、「あんた、これからどうするの?」って言ってくれたんで、「これまで迷惑をかけたから、もう一日も早く、仕事に就いて、家族に恩返しをしなきゃ」とかね「子供たちをなんとかしなきゃ」とか、いろいろ理由をつけて話したと思うんだよね。そしたら、仲間が言ってくれたのがね、「あんたは仕事も大事、お金も大事、家族も大事、子供も大事・・・そういう大事なものがあるけど、いま、あんたに残されているけど、そういう大事なものが今、どういう状態なの?」って言われたんですよね。「あなたはAAに何のために来たんですか?一番最初にやらなきゃならないことは、お酒の問題でしょ。お酒の問題をどうにかしなかったら、そういう残された大事なものも、すべてなくなりますよ。皆、なくしてるんですよ」ってね、仲間が話してくれたんですよね。「だから、あなたがやらなきゃいけないのは、ちゃんとお酒をやめることです」って。
 
 方法があるから、それをやってる施設があるから、そこへ行ってみなさい、とそういう提案をしてくれたんですよね。それがマックだったんですよ。当時、まだ三ノ輪にあったマックで。自分はいくつもりはなかったけど、仲間がそういう話をしてくれて、まずお酒の問題を解決しなきゃって、そこへいけば必ず解決できますって。今考えれば、それを言ってくれた仲間は、マックで回復した仲間だったんですよね。
 
 それで、いやいやながらも、自分もマックにつながることができて、そこではじめて・・・当時も一緒で12ステップをマックはやっていましたからね。マックは基本的に1,2,3の繰り返し・・・基礎を徹底的に築いていけば、必ずお酒をやめていけますよって・・・まあ、それを信じられたわけじゃないけど、でもそういう仲間がいたわけですよね、そこから回復した。
 
 当時、自分が思ってたのは・・・当時まだステップとかAAとか全然知らなかったけどね、さすがにその時に1ステップは自分なりに感じてたんですね。それまで、自分の力で何とかやめようと思っていたのが、「ああもう自分の力ではどうしょうもない」ってね。やっぱり、何かやらなきゃって。でもそれがなんだかわからなかったわけですよ。ところがその、分からない、自分の力じゃもうどうにもならない・・・でも、自分の力じゃどうしようもないから、その回復した仲間を見て信じられたんですよね。もしかしたら自分は・・・やめる自信は当然なかったんだけど・・・もう自信どころか、また飲んじゃうだろうっていう不安と恐れしかなかったんだけど、そういう回復した仲間にであって、もしかしたら・・・AAもマックも12ステップも全然わからないけど、もしかしたら仲間と一緒にやったらやめられるかもしれないっていうね・・・そういうところで仲間の提案を受けることができたんですよね。
 
 で、自分はマックにつながることができて、そこで徹底的に1,2,3を繰り返しやってもらって、そしてその中で・・・当時は結構仲間が多くて、多い時は20人とか30人くらい仲間がいて、山谷の仲間とかもいっぱいいて、いろんな話が聞けてね。やっと自分がどうにもならなくなったっていう、どうしてそうなっちゃっんですかっていうのが、仲間の話を聞きながら、自分の振り返りができたんですよね。
 
 それで、無力は自分なりに感じてたんだけど、ステップはまだ分からなかったけど、信じられるものに出会って、じゃあ、一緒にやっていこう、要するに委ねていこう。自分の力じゃなくて、こういう仲間がいるんだから、そこに委ねてみようっていうことで・・・まあ、結果的にそれがよかったわけで、自分の考えを使わないで、仲間の提案を受け入れることができて、それで、マックに自分はつながることができたんですね。
みのわマック

施設種別:障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所
事業所番号:1311701377
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