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第 1 回マックステップセミナー 1984 年                                  田中道雄神父   
 
こんにちは、中毒者のピーターです。
 
日本人のくせに、どうしてピーターなんて名乗っているのか?それは私が AA の人間だからです。AA というのは皆さんの中のたくさんの方がご存知だと思いますけど「アルコホリックス・アノニマス」という本の題名から取った、この頭文字ですね。
 
「アルコホリックス・アノニマス」この本が翻訳してから第 2 刷目ですけれども、ここに「無名のアルコール中毒者たち」という訳を入れました。初版の時は入れていなかったんです。「無名のアルコール中毒者たち」というのは本の題名としては大変いい、とその筋の人達に云われているのですけど、元々「アルコホリックス・アノニマス」というのは本の名前なんです。
 
1935 年に二人のどうしようもないアルコール中毒者が出会ってアメリカのオハイオ州アクロンと云う所で出会いまして、その時から AA が始まった訳ですけど、この集まりには、もちろん何の名前もありませんでした。二人のアルコール中毒者が出会ったというだけです。それからだんだん仲間が増えてきて 5 年目に入って 1939 年にアメリカで仲間が大体 100 人位になった頃に「アルコホリックス・アノニマス」、この自分たちの話しを書いた本を発行したんです。その本には誰も書いた人の署名がありませんので「無名のアルコール中毒者たち」という題をつけた訳です。その頃から「アルコホリックス・アノニマス」「AA」というのがこのグループの名前になりました。
 
それで AA プログラムについて大まかな説明という事なんですけど、これから今日を含めて 3 日間に渡って話される事は AA プログラムの話しですから、一人一人が受け取って自分で生きているこの AA のプログラムの話しですから、私が前もって理屈を云っても始まらないと思うんです。それで AA というものについて少しお話をいたしましたらどんなものであるか、おぼろげながらでも、わかってもらえるのではないかと思います。やはり AA のやり方に従いまして私はなるべく理屈を云わないで私の話しをしたいと思います。
 
まず、この「無名のアルコール中毒者たち」という本の題名の「アノニマス」という 2 番目の方ですね、「アルコホリックス」というのはもうお分かりの通り、「アルコール中毒者」という意味ですね。そして「アノニマス」というのは「無名」と訳したんです。「匿名」ではありません。私は「匿名」という言葉はあまり好きではありません。なぜかというと、私の個人的な感情であります。名前を隠さなければならないというのは卑怯だと云われた事があるんです。他のお酒をやめる人たちのグループからね。別に名前を隠している訳ではないんです。
 
今の司会者が云われた通り、田中神父と呼ばれたり、田中道雄という名前をもっているんです。別に隠しはいたしませんが AA の話しをする時、あるいは自分の話しをする時、アルコール中毒者のピーターという名前を使うんです。それはまず第一に、私たちの所へ来る新しい仲間というのは、自分の事を出来るだけ人に知られたくない、という気持ちがあります。それは周り中でみんな知っているのに知られていないと思っている、なるべく隠したいと思っている、私もそうでした。ですからここへ来ても名前も云いたくなければ云わなくて良い、名前も聞かれない。たいてい私たちが尋ねて行ったり、お世話になったりする所では必ず住所と名前を聞かれるものです。聞かれるだけではなくて書かされることが多い。それはちょっと別の意味ですけれども、私にとっても苦痛でした。なぜかというと私は手が震えて自分で字が書けなかったからです。ですからそういう事がないですね。AA に来た時には別に名前も云わなくて良い、住所も聞かれない。名前も住所も聞かれないという事は結局、個人的な事を根掘り葉掘り聞かれる事は一切無いということです。自分で自発的に云わない限り、根掘り葉掘り聞かれる事はない。それだけでは無くて、だんだんと AA の中ではプログラムとそのグループ、皆、仲間が大事であって一人一人の私たち皆、AA のメンバーになっている人も、これから仲間になる人も皆、たいへん無力であって自分では何にも出来ないんだ、という事が分かってきますから、個人の名前をあまりいらないという事になり、そういう意味も含めてだんだんとこのアノニマス、アノニミティーという意味は個人のプライバシーと個人の自発性と自由というものを非常に、最高に尊重するという意味であります。ですから自分で自分の名前を云う事は一向に構わないわけです。だけれども人のこと、仲間の事を云ってはいけない。一番初めに読まれましたように、ここに誰が出席し何を語ったか、外部に対して秘密とする、という「例えば誰が出席した」と云えば今日のようなセミナーは別ですけれどもね、アルコール中毒者の集まりの所に、誰が出席していると云えばその人がアルコール中毒者だという事を話すのと同じ結果になります。ですからそういう意味でとにかく人の事を云ってはいけない。本当を云うともっともっと広くて深い意味がだんだん出てくるんですけど、最初としてはその位で良いと思うんです。
 
ところが名前を云わない、聞かれないと云いましてもね、名前を云わない事には仲間になれませんね。名前を覚えてもらえない事には仲間になれません。ですから AA というものが、AA のグループが始まったアメリカでは一番最初から自分のフルネーム、日本語で云いますと「姓」「名」ですね、「姓名」を名乗らない、それで名前の方だけ、向こうで云うと「ファーストネーム」という、あるいは「ニックネーム」を名乗るという習慣になったんですね。ところがアメリカやヨーロッパの人たちは親しくなるとファーストネームやニックネームで呼んで「ミスター何々」とか「ミセス何々」と云わなくなるんですね。親しくなると名前も呼び捨てになる。AA の場合には最初から名前も呼び捨てという形になって初めから仲間という意識が生まれるのを助けたと思います。私が仮にアメリカに行きまして、全然知らない所で新しい、知らない AA のミーティング場を探してふらりと訪ねて行きましても、「私は東京から来たアルコール中毒者のピーターだ」と云ったら、まるで前から知っている友達か、あるいはしばらく顔を見なかった親戚のように迎えてくれる、そういう AA の雰囲気といいますか AA の物の考え方、あるいは仲間に対するそれ自体が生き方に入るかもしれません、それが生まれてきたのもアノニミティと関係があります。
 
 
 
私が初めて AA に出会ったのは、AA の人であった、あるいは AA プログラムによって回復した人であった、今日の司会者の神父さんです。1974 年の晩秋のことでした。その日は私の 45 歳の誕生日で、空に一点の雲のない東京の空は日本晴れでその晩、皆既月食が見られた 1974 年の 11 月 29 日です。私が東京へやってきたのは、どう云う訳かと云いますと、
 
「東京へ行ったら・・・」私たちは飲んだ時に、よくそういう考えをしたものです、
 
私は長い間、大阪の教会で働いていましたけど、どこかよその土地に行けば何とかなるのではないか、という考えですね、東京へ行けば何とかなるんじゃないか、北海道に行けば何とかなるんじゃないか、という考え方をするものですけどね、私が最後に大阪から東京へ出てきた時は、そういう考えは全然ありませんでした。どこへ行っても何ともならないと、思う状態になっていたからです。それならどうして大阪から東京へ出てくる気になったかと云いますと、それまで私は 7 回精神病院に出入りして、本当に心身ともにボロボロの状態になって、そこら辺の事を詳しくお話すると、ひょっとすると面白い事もあるかも知れませんけども、心身ともにボロボロという表現をもって皆さん想像していただければ、皆さんの所に「何とかしてくれ」、と云って尋ねてくるアルコール中毒者がいたら、その時の私の姿だと思って下さればいいです。
 
その時に「こっちに来て一緒にやってみないか」と声をかけてくれた人がいたんです。
 
「こっちに来て一緒にやってみないか」と云われて私が出てくる気になったのは、さっき云った通りに行けば何とかなるという、かすかな希望があった訳ではなくって、実は私が今いる場所、つまり大阪にいられない、ここにはいられない、という状態だった。そこへ「こっちに来ないか」と云ってくれる人がいたから「渡りに船」と来ただけでして、そして 3 時間ほど話しをしたんですね。いろいろな話しをしたと思います。おぼろげに今、こんな話しをしたんじゃないか、とだんだん思い出すことが出来ますけれども、本当はその時に話された彼の言葉、相手の口から出た言葉としては本当に一つしか覚えていないんです。それは何かと云うと「この通りにやればどんなひどいアルコール中毒者でも回復できるやり方がある」という事でした。その時に AA のプログラムという事は云われなかったと思います。私はそれは覚えていません。でも「この通りにやればどんなひどいアルコール中毒者でも必ず良くなる、そういうやり方があるよ」こっちに来て一緒にやってみないか、というのは、「あぁ、そういう事だったんだな」というのはわかりました。「どうするんだ」と尋ねましたら「今日飲まないで、自分の足で歩いて仲間に会いに行く、というのをやるんだ」そして東京の空に皆既月食の始まっている頃に、私たちは地下鉄と私鉄と、その神父さんはね、下手に東京に住んでいる江戸っ子よりも東京の地下鉄の乗り換えとか乗り継ぎとかね、そういうのを大変よく知っていると、私は感じました。
 
それから例えば国鉄のストライキがあった時には、あそこのミーティング場にはこういけば良い、という事もちゃんと教えて下さるんですね。地下鉄と私鉄に乗り継いで行った所は、それはまだ AA ではなくて、何とかして酒をやめたい、と必要だけど暗中模索している状態のグループでした。私も大阪でも、他のグループのお世話になっていた事もありますから、その気持ちというのは大変よくわかるつもりです。ところが私は不思議な事に、そこのミーティングが終わって帰る時にね、どういう訳だか今度は何とかなりそうだ、と感じたんです。それは未だかつて私が一度も感じたことのない事でした。いつも私は、7 回精神病院に入院をして、退院してきた時には、教会の偉い人に「あぁ元気になって良かったな、今度は大丈夫だろう」と云われるんです。
 
一番初めの時は「ハイ、大丈夫です」と云ったんです。でも 3 回目位からは、もうそれは云えなくなった。それで 5 回目位にはもう黙っていれば良いものをね、あるいは「頑張ります」とでも云っておけば良いものを「大丈夫だろ?」と云われた時に「どうしても大丈夫だと思えない」と云ってしまうんですね。そうすると教会の偉い人というのはお爺さんですからね、怒るんですよ。だから私はそういう聞かれた場合でなくても、いつも私の心にあるのは「現在、酒をやめていてもこれがいつまで続くか」という不安、あるいはむしろ、いずれきっとダメになるという、これは絶望ですね、そういうものしか無かったんです。それがどうして今度はいけそうだ、と感じたのか、その時にはわかりませんでした。
 
もうずいぶん何カ月も、あるいは、ひょっとしたら 1 年以上も経ってから、私はその時のことが分かったような気がした。それはきっと、まだ AA とは云わなかったあのミーティングの中に今、私が知っているこの AA の雰囲気があったのではないか、という事でした。
 
それでは AA の雰囲気は何か、と云いますと「この通りにやれば、どんなひどいアルコール中毒者でも必ず回復できる」という、それを信じている仲間がいる、という事です。
 
その言葉を私は初めて聞いたので、たぶん私に云われた言葉としてね、初めて聞いたので非常に強烈な印象をもっていたんで、他の言葉は全部忘れてしまっても、それだけ覚えたんだと思います。あるいは、それから後、ずっと繰り返し繰り返しミーティングの度にこの話をしましたんで、これは忘れなかったんです。でも確かにその時の、私に云われた「この通りにやれば、どんなひどいアルコール中毒者でも必ず良くなる」そういうやり方、と云われた時に私はあんまりも難しい理屈を考えた訳ではありませんけど、それは漠然とした感じだったかも知れませんけど、その言葉を云ってくれた、この AA の人の、AA プログラムに対する確信ですね。このやり方に対する確信、この通りにやればどんなにひどいアルコール中毒者でも良くなる。
 
最初に「第三章」、「第五章」といって読まれた文章があります。三章、五章と私たちはいつも云い慣れているんですけど、この本の三章と五章の一節なんですね。それで五章の一節、一番初めのところに、覚えていらっしゃるかも知れないですが「徹底的に我々のやり方に従った人で回復しなかった人を、我々はほとんど見たことがない」それと同じことなんですね。
 
この AA のプログラムというのは徹底的にそれをやったらほとんど 100%、ほとんど見たことがない、というから 100%とは云わないんですけどね、でも徹底的にこのやり方に従えば必ず良くなる、とその確信です。
 
そしてその時の私は、私自身の回復が信じられないどころか、回復しない、と固く信じていたから、飲みながら早く死にたいという事ばっかり考えている状態でした。ですから、その言葉を云ってくれた人は AA プログラムに対する確信だけじゃなくて、私自身が信じていない、私自身が信じる事の出来ない、私の回復も信じてくれたんですね。
 
「お前も良くなるんだ」と信じている人がいたんですね。それまで私の周りにはそんな人はいませんでした。人を責める訳ではありませんけどね。よく云われたんですね「お前は酒さえ飲まなきゃ、いい神父さんだ、だから酒だけが玉にキズだ」と。
 
不思議な事にいつでも「玉」だと思っているんですよ。そして「キズ」の弁解ばかりしているんですね。「この位はいいんじゃないか」という、でも私は本当に自分を、自分自身を見捨てる状態になっていたんです。そして私を見捨てなかった人がいたんです。そして、そういうものの考え方とそのプログラムに対する確信と云いましょうか信仰といいましょうか、そういうものをもっている仲間がすでに何人か、あのミーティング場にいた、という事なんです。
 
そんなに大勢ではありませんでしたけれども、集まった人の中の何人か、だったですけれども、後に日本語の AA グループの最初の人たちになった人が、そこにいたんです。だから、そこには自分の回復を信じられなくなって、自分で自分自分自身を見捨てたら死にたくなるんですね。もうこれ以上は生きられない、という。酒はやめられないんだから、死ぬまでは飲まなきゃならない、そういうような、飲みながら死にたいという、最後までやっぱり見栄というのもありましてね、格好良く死にたい、なんて思っているんですけど。決して格好良く死ぬことが出来る訳がないんですね。でも、そういう風にしか考えられない。
 
そういう人たちが、ここではね、「これで俺たちは生きられる」と考え始めているんですね。
 
これで生きられるんじゃないか。この仲間と一緒にやっていけば回復できる、生きていける、
 
「生きる」という事をほとんど考えなくなって死ぬことばっかりを考えていた者が「これで生きられる」という感じ、これこそ「希望」だというものだと思うんですね。つまり AA には希望がある、生きていけるという希望、あるいはこれをやっていれば大丈夫だ、という安心感がある。それはかつて私がもっていなかった、もった事のなかったものだったと思います。
 
こうして私はその時から、その仲間と一緒に、自分の足で歩いて仲間に会いに行く、今日飲まないで仲間に会いに行く、という事を始めたんです。「一生一滴も飲まない」とかね、あるいは「3 年間酒をやめてみよう」とかね、そういった事を考えないで今日一日でいいんだ、という事は実は私、前に聞いた事があるんです。それだけでいいんだ、と。それは多分、 AA の言葉だと思うんですけども、その AA の言葉が他のグループを通して、私の所に届いてはいたんです。でも、私はそれを理解できませんでした。明日の事を心配しなくていい、と云ったって、やっぱり心配しますね。これから先どうなっていくんだろう、そればっかり心配でした。でも今日飲まないで今晩仲間に会うんだ、という事は「今日一日」という生き方の本当の具体的な手の届く始まりだったんですね。ずっと後になって、明日の事は本当に自分の力ではどうにもならないのだからお任せするより他にないんだ、昨日までのことはいくら心配しても思い出してクヨクヨしてみたってどうにもならない事なんだ、という事はだんだんと本当に自分自身に納得してわかるようになったのは後の話しでね、一番最初は、私は今日飲まないで、仲間に会いに行くという、それが私の今日一日という生き方でした。
 
そして自分の足で歩く、という事を云われて、私はその時、本当は半信半疑、と云いましょうかね、大抵の仲間が感じるように、そんな集まりに出て、人の話しを聞いて、私が今まで永年苦しんできた、やめようと思ってもやめられなかった酒がやめられるものだろうか、という疑問ですね、むしろ逆にそんなことあるもんか、という、人の話しを聞いて酒がやめられる位ならオレはずいぶん昔からいい話ばっかり聞いてきたんだから、もうとっくにやめてて良かったはずだ、というような、そういうような考えを半分もちながらね、でも私の回復を信じてくれた仲間、それからもう一つがこの人について行かなければ今晩寝る所がない、というその切羽詰まった事情と、両方が私を助けまして、それから毎日、今日飲まないで仲間に会いに行くというのをやり始めたんです。
 
多くの人が感じる、感じていると思います、ここに書いてあるステップを見ても何のことやらよくわからない。あるいは大変難しい、という感じを持つかも知れません。それは私も同じです。何にもわかりませんでした。幸か不幸かこういうものも、まだありませんでした。英語の本がありましたけれども、これはいずれ日本語に翻訳しないといけない、といって英語の本を渡されたんですけどね、その時に私が感じたことは、こんなに大きな外国語の本を翻訳なんか出来るのもか、と私は思ったんです。
 
後にアメリカに行った時に聞いた冗談ですけれども、1939 年に英語のアルコホーリックス・アノニマスの初版本が出た時は、AA の仲間が書いたものとしては、これだけがあったんですね。それで新しく来た仲間に高い本なのであげちゃうわけにいかないので、貸してやったんです、「これを読んでごらんなさい」と。そうしたらそれを受けとった、昨日まで飲んでいた仲間がね、大抵、例外なくこの本をひっくり返してみて、「大きな本だな」と云った。それで今でもこの本の事を「ビックブック」と云います。
 
AA のビックブックといったらこの本の事を云います。私が英語の本を渡された時にも丁度、そんな感じでした。何にもわかりませんでした。でも今日一日飲まないで今晩仲間に会いに行く、というこの事をやり始めてから、AA のミーティングで仲間の正直な話しを聞いているうちにだんだん、まず自分の事がわかってくるんですね。
 
私は酒だけが「玉にキズ」だと云われた。始めのうちは、云われる言葉を取り上げて「玉」の方だけ取り上げてね、オレは「玉」なんだ、と思っている訳ですね。「キズ」の方はちょっとした「キズ」だと思っているんですね。初めのうちはね。
 
だんだんそうじゃなくて、自分自身がどういう状態であったのか、ありのままの自分の姿というものが仲間を通して、仲間の言葉を通してだんだんわかってくる。話しをしてくれる仲間の事がわかるんじゃなくてね、私自身の事がわかってくる。そうしながらだんだん、AA のプログラムというものがね、どんなに自分にとって必要なものであったのか、という事が分かってくる。そういうような、後になって振り返ってみるとそうだと思います。先程、司会者も云いましたけれども AA のプログラムは酒をやめるためのプログラムではない、と思います。なぜかと云うと我々はこのプログラムを始める時に酒をやめているんです。私は酒をやめられない、やめられない、と非常にそればかりを苦にしていました。酒がやめられない、酒がやめられないから神父を辞めようと思った。アルコール中毒者というのは酒と酒以外の何かとね、例えば「お前、酒をやめないと会社を辞めてもらうよ」というように何かどっちかを選ばなきゃならない時に、必ず酒じゃない方をやめる、というね。
 
それで私は酒がやめられないから神父を辞めようと思ったんですけどね。どうして神父を辞めようと思ったか、というとね、神父でいる限り死ぬまで自由に飲めないからですね。教会が放っておいてくれないからです。だから、もうどうせダメなんだから、それにそう長い事なんじゃないから、もう放っておいてほしい、という感じで神父を辞めようと思った。そういう状態であった自分というものがね、本当に自分自身にありのままの自分がわかってきた、と思いますね。
 
そして、どうすればいいのか、という事が少しづつ分かってきたんですね。幸いなことに私はここに書いてあるような 12 のステップを読んでもね、わかりませんでした。
 
なかんずく、一番わからなかったのは「神様」でした。
 
なぜここに「神様」が出てこなきゃならないんだと。私はそれを大変、憎みました。
 
神様にお願いしたら病気が治る、というのは失礼ながら、ちょっと次元の低い宗教のいう事だと、こう考えていたんです。だからわからなかったんです。もしも私が 10 年程大学で教えていて、まだクビになっていなんで大学教授なんですけども、大学で学生にね、偉そうにこうして講義をしている程度にこの事がわかったらね、私が仮に今日一日飲まないで今晩、仲間に会いに行くというこの「行い」ね、「実践」、これをやらなかったと思うんです。
 
「あー、良かった、こうすれば良いんだ」というのがわかったら、私はもう治っちゃってね。アルコール中毒者は治っちゃってはいけないんですね。アルコール中毒、私は今も、あるいは私よりも、もっともっと長く AA にいて、その AA の生き方をやっている人でも、私は今もアルコール中毒者のピーターなんですね。回復した、という事は、あるいは回復している、とちょっとへりくだって、まだ回復している、と云った方が良いかも知れない。というのは治っちゃた、という事ではないんですね。私は他の人と同じようにお酒を楽しむような身体にはもう戻らない、そういう意味では治らない。ところが割合に私たちは、ちょっと何かがわかると「あっ、これはわかった」「これで治った」と簡単に治っちゃうんですね。ある意味、最初に、もしも私が大学で学生に講義する程度の理解を AA プログラムに対してもったら、私は毎日 AA ミーティングに何年も出るという事はしなかっただろうと今、思うんです。それで私は初めは分からなくて良かったんだと思うんですね。だからこれを見て、「何の事やら、ちっともわからない」とかね「大変難しい」と思ってもらって構いません。分からなくて良いんですね。
 
一つだけ分かれば良いんです。今日飲まないで仲間に会いに行く、というのが分かれば良いんです。それはそんなに難しいことではありませんし、実行するのにも難しい事ではありません。それをやりながら私はずっーと何年も経ってから、今更のように思い出したんですけれども、私が歩いて仲間に会いに行くという事から得たものは、私が飲んでいた間に無くしてしまって、無くしてしまったものがどんなに大切なものであったか、でさえ分からなくなってしまっている、人生における最大の大きなものを回復する始まりだったんです。それは「人間関係をもつ」という事でした。我々は大抵、飲んでいる間に多かれ少なかれ完全に一人ぼっちになってしまう。そして本当は一人では生きられない、という事もわからなくなってしまっている。酒がやめられるんじゃないか、とひょっとしたら私も良くなるんじゃないか、という希望がもてた時、初めて本気でやる気になる、と司会者が云われました通りです。
 
大事なものが始まった、という気がするんです。AA のプログラムは酒をやめるプログラムじゃない、と云いましたが、やめられない、やめられないと思っていたんですけどよく考えてみたら、司会者も云った通り、私もしょっちゅうやめていたんです。「アルコール中毒者ほどよく酒をやめる奴はいない、でも続かない」というのは、また飲んでしまうという事なんです。どんなに固い決心をしても、どんないろいろな証文をごまんと書いてもね。でもそれを奥さんに渡して、どこへ行くか、というと飲みに行くんですね。そういう病気なんです。AA のプログラムは「今度飲まなくても良いプログラム」なんです。そして例外はあるかも知れませんけど非常に多くの仲間が、AA のプログラムに入ってしまいますと、ほとんど飲みたくならない、というね、飲みたくならない、飲みたくなっても別に構わないんですよ、飲まなければいいんですけどね、お酒を必要としない、私たちアルコール中毒の病気の状態にある間は、おいしいから、とか気持ちが良いからとか、楽しいからとか、そういうので飲むんじゃくなくて、飲まなきゃならないから飲む。それが必要で無くなってくる。飲まなくても良いようになってくる。いらなくなってくる。「お前、酒嫌いか」と聞かれても別に嫌う必要もないみたいですね。とにかくいらなくなった。そういうふうになっていくプログラム、つまりそれはお酒が無くても充分に、充実した、というと何となく重苦しいことを考えるかも知れませんけど、そうじゃなくて楽しくて幸せな、というとまたキザっぽいんですけど、そういう人生が酒が無くてあるんだ、という事が分かってくる、その生き方のプログラムだ、という事です。
 
私のこれまでお話しました事は AA プログラムについて、という事をお話しましたけれど、AA には AA の代表者という人は誰もいないんです。一人一人が一人の AA メンバー、大勢の中の一人なんですね。偉い人は誰もいないんです。なぜ偉い人がいないかというと、偉くないからですね。一人一人みんな弱さをもった、アルコール中毒という弱さをもった、他の人と同じ、といって良いでしょう、人間の弱さをもった一人のアルコール中毒者がいるだけなんです。そして私が今日飲まないで皆さんの前でこういう話しが出来るのは AA というものがあって、仲間がいて、プログラムがあって、そして今日まで飲まないできた、それはみんな与えられたものなんですね。私たちは自分の持っているものを別に隠したり卑下することはないんです。心にもないへりくだりをいう、ことを謙遜と考えている、日本語をそういうふうに使っている社会ですけれども、そうじゃなくて本当の謙遜というのは、ありのままの自分を見つめる事なんですね。
 
ありのままの自分を見つめて、それを認めたら決して威張れない、オレは偉い、という人間はいないはずなんですね。偉いと思う人がいるとすれば、その偉い部分はほとんど皆、与えられたものなんですね。人からね、あるいは神様からかも知れない。とにかく与えられたものである。AA の中には、もちろん立派な人、偉い人も大勢いるんです、人間的に。AA のプログラムによって回復し成長した人たちというのはいるんです。だけどそれはやっぱり「恵み」であってね、それはみんな「恵み」だという事を忘れないために偉い人は誰もいない。「長」のつく人は誰もいない。先輩もいないんです。なぜかって、今日飲まない仲間の集まりだからです。
 
昨日までの事は問題にならないんです。昨日までどんなに偉い事があったとしても飲んだらお終いですから。明日からの事は誰も自分で自分自身に約束できません。でもプログラムを忠実にやっていますとハイヤーパワーがきっと良くしてくれる、という信じることが出来るようになります。
 
私たちはそれを信じることが出来るようになりましたので、今日も安心して生きていく事が出来ます。AA のプログラムとはそういうものである、と私は理解しているんです。云いたかったのはそれなんですね。AA の代表者というのはいなくて、私の話したことは私の考えなんですね。これから仲間が話す事も一人一人の仲間が自分で理解して自分で実行している、自分で生きている AA のプログラムの話をしてくれるはずです。(拍手)
 
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施設種別:障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所
事業所番号:1311701377
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電話:03-5974-5091
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