stuffs1B - みのわマック

みのわマック

minowamac
コンテンツに移動します
 12ステップの話をしたいと思います。簡単に自分がAAに出会うまでを話しますと・・・最初の精神病院の入院が35歳で、そこでアル中を宣告されたわけですけど、同時に「病気」だということも宣告されたわけです。
 まあアル中というのも、自分の状態に照らして「ああ、とうとうなっちゃったか」というような感じだったけど、当時はまだ「病気」だとの理解が出来てなかったですね。
ただ、病院で言われたのも、「もうアル中なんだよ。病気なんだよ。飲めないんだよ。飲んじゃダメだよ」というくらいで、どういう病気かなんて説明もないから、なかなか納得は出来なかったわけですね。
 でも、そこで初めて「お酒をやめよう」っていう気持ちになったんですね。
精神病院への入院もショックだったし、自分は家族がいて――女房と、子供3人。子供は、まだ一番上が小学2年生だったかな――3人も子供がいて、さすがに親父が酒を飲んで精神病院というのは、これじゃ子供が育っていく上でどうなっちゃうんだろう、っていうことは思いましたよね。やっぱり、お酒が原因だって言うのは、自分でも分かってましたから。
 ただ、病気についての理解なんかも何もないから、当然、一生やめようとは思わないですよね。しばらくやめよう、っていうか・・・そんな感じで病院を退院して、そのときに――その病院は断酒会が入ってたんですよね――断酒会を紹介してもらって、週に2回とか3回、集まりがあって、そういうところに出るようになって、お酒はとりあえずしばらく休むというか、しばらくやめるという決心をして、断酒会の例会に出るようになって・・・。
でも、病院に入院している間は飲めない環境ですから、あれほどあった飲酒欲求とかも薄らいできて「このまま退院したら何だか飲まないでいけそうだ」っていう感じを持っていたんですけど、今考えてみると、この病気は恐ろしいですよね。
 退院の時に病院からバス停まで行ったら、バス停の前に酒屋があったんだよね。それで『酒』っていう看板を見たら途端に飲酒欲求――「飲みたい」っていう感情が一気に湧いてきたよね。今、考えれば恐ろしいことで、いくら自分で決心しようが何しようが、身体が要求するというかね。
その時は女房がいたから飲めなかったけど、一人だったらあの時また飲んでいたんでしょうけども。
まあ、そんなこともあってとりあえず、D会――仲間もいて、週に2回とか3回とかそれくらいですけど、そういう集まりに出て――要は、病気も理解していないし、自分自身が病気になっている、ってこともはっきり認めたわけじゃないから・・・飲みたいんですよね。
 だから、我慢ですよね。飲みたいのを我慢する。そういう連続でしたね。
 当時自分が思っていたのは、自分は酒だけが問題で、酒さえやめれば、何も問題ないだろうって。酒さえやめれば全て、仕事も、家族も、対人関係も上手くいくだろうとかね、そう思ってましたけど、そうではなかったですよね。当時、それはわからなかったですけど。
 やっぱり、いくらやめようと決心しても、飲酒欲求ってものが起こってきて・・・それともう一つは、今考えると酒だけが問題じゃなくて、色々な問題があって――性格的な問題とか、自分の欠点とか――要するに生き方、考え方に問題があったというのは、当時は気付かなかったですよね。だから、酒さえ飲まなければ普通に、何事もなく上手くいくだろうと思ったけど全然、そうじゃなかったですね。
 毎日が苦しくて当然、飲酒欲求が湧いてくるし、それをまた我慢する。人との関係も上手くいかない、家族とも上手くいかない、しょっちゅう苛々苛々してる。精神的な落着きとかは全然ないですよね。毎日、苛々して、怒りが出て・・・そんな連続でしたね。でも、とりあえず、そこから5年、やめたんですよね。
とりあえず、酒は飲まなかったわけですよ。ただ、当時は自分の生き方、考え方に問題があると思ってないから、やっぱり苦しい生き方――AAに「ドライドランク」っていう言葉があるけど、ただ酒を飲んでいないだけで、やっていること、考えていること、そういうのが飲んでいるときと一緒。一緒の行動、考え方、生き方をしていたんですよ。
 だから、いま考えると当然、楽になれるはずもなくて毎日、苛々しながら過ごしてました。
 当時は仕事もなかったんですけど、病院を退院して、とりあえず仕事に就くことが出来て、仕事に行くようにもなったんですけど3年半くらいで、その会社が倒産しちゃったんですよね。
 アル中さんはよく、結構まじめな人が多いとか、仕事を一生懸命にする、とかいう話がありますけど、自分も結構、まじめに仕事をする方で・・・ただ、今考えると、やっぱり依存体質というか、何でも「のめり込んじゃう」っていうかね。仕事を始めたら、今度はワーカホリックだよね、毎日残業を続けて。要するに当時はね、暇があるのがいけないんだから、とにかく暇を作らないように、そのためには残業をしようとかで、1ケ月に90時間とか100時間の残業とか、そういうことをするようになっていたんだよね。
そんなことなんで・・・結局、その会社は3ケ月くらいで倒産しちゃったんだけど、その時に取引のあった別の会社の社長さんが、自分らとも仕事上の付き合いがあって、自分を見ててくれたわけですよね。
結構、まじめに働いていたから、その時に「じゃあ、ウチにこないか」ということで、小さい会社だったけど、拾ってくれたんですよね。
 小さい会社なんだけど「生産管理課長」とかいう役職付きで雇ってくれて・・・確かに仕事はやるんだけど、これまでとは全然違う仕事ですから自分には経験も知識もなくて、分かっていないけれども、自分は何でも出来るんだ、という思い込みがあった。
 だから当然、分からないことがあるんだけど――後から気付いたけど、これも欠点ですよね。わからないことを人に聞いたり、自分で出来なければ助けを求めたりとか、そういうことが出来ないんですね。何しろ自分は何でも出来るんだ、だからやらなきゃ、という考えでね。
 結局、また同じことですよ。自分で片付けようっていうんで、毎日、11時とか12時とか・・・そんなことが約1年続いたわけですね。さすがに、もう疲れ果てちゃって・・・その間は何とか酒を飲まずにやってたんですけど最終的に、精神的にも肉体的にも疲れ果てて・・・気付いたら一杯飲んでたんですね。
 缶ビールだったけどね。よく覚えていないんだけど、気づいたら手にして飲んでましたね。
その時に、やっぱり5年くらいはやめていたんだから、「あ、失敗した」と思いましたよね。それで、その間は自助会も出ていたから色々な話を聞いていて「やっぱりこの病気は何年やめていても、また飲めるようにはならないよ」とか「また一杯飲んだらもっとひどくなるよ」とか「また精神病院に入院するようになっちゃうよ」とか、話を聞いていて、実際にそういう仲間も見て、「ああ、そういう病気なんだ」と一応、知識としては入っていたはずなんだけど、でも自分が一杯飲んだら、そういう考えが途端にどこかへ行っちゃいましたね。
失敗したと思って、そこでやめればいいんだけど、すぐに飲む方向の考え――失敗したけど、知識があるから・・・でも、まだ病気の本質は分かってなくてね.。今度こそ変なことにはならない、上手く飲める、自分でコントロール出来るという考えに支配されちゃう。
一杯飲む前には飲まない方向で考えることが出来ていたんだけど、飲んだ途端に飲む方向へスイッチが切り変わっちゃいましたね。
 でも、色んな話も聞いてるし、仲間も見ているから「慎重に飲もう」とか考えてね。「もう飲んじゃったからしょうがない」最初は、「1週間に1日だけにしよう」とかね。そういうふうにして始まったんだけど、当然、続くわけがない。1日が2日になり、3日になり4日になり・・・あっという間に毎日飲むようになっちゃった。
 慎重に飲もうと思ってやっているんだけど、飲む量とかもどんどん増えて行って・・・途中でね、何カ月かしたときに(あれ、これはまずいな、以前みたいになっちゃうな・・)とか、思うんですけど、じゃあ自分でコントロールしようと思っても、もう駄目でしたね。いくらコントロールしようと思っても、どんどん進行していっちゃう。結果的には、半年ももたずに前よりひどい状態になっちゃって・・・。
それで、最終的には2度目の精神病院に・・・自分で行きました。
 要するに、もう自分で止めることは出来ないっていうこと。だから、自分の自由の利かない、格子の入ったところに入れてもらわないとお酒が止まらない。とりあえず「止めなきゃ」っていうことですね。
 2回目、自分の方から「お願いします、入院させてください」っていうことで、入院させていただくことになったんですね。最初の入院から5年、お酒をやめて・・・でも、今考えると、病気ですよね。一杯飲むと、結局、同じこと。もっとひどい状態に――進行性の病気っていうけど、半年経った時には前よりもひどくなってしまって、とりあえず三カ月とか入院させてもらうわけだけど、閉鎖病棟で飲めないから、そこでお酒を切ってもらって、三カ月たったら、また飲まないようにすることが出来ると思ってましたよね。
 それで、とりあえず退院して暫(しばら)くの間は飲まないんですよね。最高で、三カ月だったですよね。でもその当時、病気のことはよくわかってないし、自分がそういう病気だって言うこともよくわかってないから、「やっぱり上手く飲めるはずだ」っていう考えが消えないんだよね。だから、完全に飲まない方向には考えがいかないんだよね。
 退院してすぐに飲んじゃったらまずいから、とりあえず三カ月くらいはやめようと思って・・・それで、また結局は飲んじゃうんですよね。あと何日とか、指折り数えてるんですよね。それで三カ月経って一杯飲んで、今度こそは慎重に、と思うんだけど、とんでもないですよね。前にも増して病気の進行が早かったですよね。
 前は半年もったのが、半年もたたずに別の精神病院に逃げ込むっていうようなことになっちゃって、結果的に、約2年の間に4回、入退院を繰り返しちゃったんですよね。
 もうその頃から、いくら自分でやめようと思っても飲酒欲求――まあ、強迫観念ですよね。一杯飲んじゃう。一杯飲んじゃうと、今度こそ・・・だけど、どんどんひどくなっていきましたね。最後には、止まらなくなっちゃって・・・その時、自分は42歳になっていましたけど、仕事も出来ない、家族とも上手くいかない、借金はできる・・・どうにかしようと思うんだけど、どうにもならない。苦しくて苦しくて、最終的には自分が情けなくなって、生きていてもしょうがない、死んでしまおうって・・・いくら飲んでても、楽じゃないわけですよ。苦しいだけなんですよね。
 結局、肉体的にも、精神的にも、社会的にも追い詰められて、何も出来ないようになっちゃって・・・。一人の人間が社会で生きていくには、いろいろ責任があるわけですよね。家族があれば家族に対する責任、子供がいれば子供に対する責任とか、社会に出れば職場での責任とか色々あるわけですけど、そういうもの全てが出来なくなっちゃって、もう自分が情けないというか、そんなことがいいとは思っていないので、何とかしよう、何とかしようと思うけどどうにもならない。
 そんなことで最後はもう苦しくなっちゃって、苦しさから逃げるために死ぬことを考えました。もう生きていてもしょうがない。自分自身が情けなくてね・・・。
それで色々やってみたんですけど・・・実際は、死にたくないわけですよね。
生きたいんだけど、生きる術(すべ)がない、っていうか。苦しい、苦しさから逃れたい、楽になりたい、じゃあ死んじゃおう、っていうことで、ビルの屋上から飛び降りようとか、踏切で電車に飛び込もうとか・・・だけど当時は、そんなことをいくら考えても結局、アルコールが入っているわけだから「じゃあ、死ぬ前に飲んでから」っていうことになるわけですよね。そうするともう、いくら屋上に行ったって、下を見れば恐ろしくなっちゃって出来ないし、踏切のそばに行っても、あの電車が通る音とか聞いてると、「これじゃあ粉々になっちゃう」とかね。山の中に行って誰もいないところで死んじゃおうとかね。色んなことを考えるわけですけど、飲んじゃうから、死ぬことさえ実行できないわけですよね。
最後は42歳の、3月20日です。日付まで覚えてます。自分は飲み続けてまして、当時は女房は働いて、子供たちは学校に行ってました。一人になっちゃうと、それを見計らって酒を買いに行くんですけど、その日は今日の分の酒を朝、買いに行って酒を抱えて玄関を開けたら、長女がね・・・当時、中学3年だったんですよね。卒業式が終わって、高校受験も終わって、家にいたわけですよね。そんなことさえ、眼中になくて、長女が家にいるなんて思ってもみなかったわけですよね。
 帰ってきて玄関に入ったら、娘が悲しそうな眼をして、何も言わなかったけど、じっと見てるんだよね。もう、それでいたたまれなくなっちゃって「もうダメだって、死んじゃおう」ってことで、何をやったかって言うと、自分の車からガソリンを抜いて、頭からかぶって、火をつけて・・・焼身自殺を図ったんですよね。
 本当はそこでもう、自分の命はなかった。今の自分は、そのときに一度死んだと思ってますけどね。
 でも、AAに来て12ステップをやって、神とかハイヤーパワーとか色々出てきますけど、本当は死んでるはずの自分が、そこで生かされたわけですよね。
それが不思議なことで、家の前に小さい川が流れていて、その土手でやったんですけど、普段その川は、せいぜい膝の下くらいまでした水の流れていない川なんだけど・・・ガソリンってすごいんだよね、火をつけたら一気に燃え上ったら、熱いというか思わずその川に飛び込んだんですね。そうしたら、今考えても不思議なんですけど、そのときは首のあたりまで水があって、それで全身やけどこそ負ったけれども、助けられたんですよね。
その時のことは、もうブラックアウト状態だから記憶にないんですけど、誰かが助けてくれたんですよね。
今から思えば神様が見ていて「今お前を死なせるわけにはいかない」ってことで命を救ってくれた気がするんですけどね。
そこから、病院に入院して・・・火傷もしたんですけど、命を落とす程のものではなくて、外科の病院に1ケ月入院して火傷の治療をして・・・その病院に入院するのも大変でしたね。「何でこんなことになったんですか?」って聞かれて、本当のことをいうと、「そんな危ない人を入院させることはできません」とか断られたりもしたようです。でも実際に火傷があるわけだから、特別に、付き添いを――当時は付き添いなんか付かないわけだけど――「家族の付き添いがあれば1ケ月だけ入院させますから」ってことで入院させてもらって、命がそこで助かったわけですよね。
それで火傷の治療がある程度終わって、外科を退院して・・・だけど家族はもう、そのまま家には置けないと言って「もう1回、精神病院に入院して下さい」ということになったんですよね。前に3回くらい入院している病院にお願いしたんだけど、断られちゃってね。「そういう人は、もう入院させられません」と。
その後、家族もいくつかあたってみたらしいんだけど全部、断られちゃって。
 そういう時に自分を拾ってくれた病院があったんですね。Y市の病院でね。いま考えてみれば、あの病院から――さっき神様の話をしましたが、神様が導いてくれたのかな、と思うんですけど――その前に入院していた病院は、依存症の治療プログラムとかはない病院だったんですけど、最後のY市の病院は、そうしたプログラムのある病院だったんですよね。
 そこで引き取ってもらったんですよね。そこはAAよりは別の自助会寄りだったけど、夜にその自助会とかAAに行くプログラムがあったんですよね。その時に初めてAAのミーティングに参加したんですけど、ここでも自分は恵まれてるな、と思ったんですよね。
当時、周辺には3つくらいしかグループがなかったんだけど、最初に行ったミーティングは、非常に衝撃的なものだったんですよね。
 それで、入院している病院からミーティングに通っていたんですけど、さすがに「自分の力ではどうにもならない」っていうのを感じてましたね。ステップ1にあるように『無力』ですよね。
 「じゃあどうすればいいんだ」って言うのは自分では分からない。でも当時、ミーティングに出たら仲間はね・・・(日本で)AA自体が始まって間もない頃ですから、病気のひどい話をする仲間がいたんですよ。精神病院に20回、30回入院したとか、刑務所に入ったとか、家族離散したとか、借金まみれで最後は一人ぼっちになっちゃったとか、そういうひどい話をする仲間がいたんだけど、そういう体験をした仲間がなんだか元気に、笑いながらそういう話をしているわけですよね。不思議な感じでした。「何なんだ、この人たちは」って。
「何でこんな経験をした人が、今は酒を飲まないで元気でやっているんだろう」「なんでやめられたんだろうって」いうことを思った。
その時に自分は霊的というか、何かあるんじゃないか――AAそのものに何か、そういう力があるんだろうなっていう・・・それが何であるかは全然分からないんだけどね。こんなにひどい経験をした仲間が、もうお酒をやめている、じゃあ、もしかしたら自分も・・・。今はやめる自信がないし、自信がないどころかまた飲んじゃうだろう、っていう不安の方が大きかったんだけど、もしかしたら、この人たちと一緒にやっていったら、自分もやめられるかも知れないっていう希望を、初めてのミーティングでもらったんですよね。
それで「そうだ退院したらとりあえずAAに出てみよう」って言うことで――最後の病院は4カ月いたんですけど、退院したその日に、その足で、AAのミーティングに出ることが出来たんですね。
 そこからが自分の始まりでした。
 後でわかったけど、その仲間たちは、ほとんどマックの経験者で、しかもひどい話をしてくれた仲間の中には、ミニーさんがハーフウェイハウスをやっていた頃の仲間もいたわけですよ。そんなこと最初は分からなかったけど、とにかくミーティングに出ることが出来て・・・病院から家に帰らないで会場に行くことが出来たんですね。初めてでしたね、自分から行動するっていうのは。
 それで「よく来たね」とか仲間に言われてね、「一緒にやろうよ」って言うことで迎えてもらって、仲間から提案されたのが、「あんた、今、仕事してないんだろう、だったらいいところがあるから紹介してやる」ってことで、「みのわマック」を紹介してくれたんですよね。
「みのわマック」なんて言われても自分は当時、マックなんてわからないし、ましてや365日休みなしで、一日3回ミーティングをやるんだ、っていう話だったんですよ。
 とんでもない、そんなこと出来るか、って。それよりもまだ自分の中では、今まで迷惑をかけた分、一日も早く家族に埋め合わせをしなきゃ、とか考えてたんですよね。だからマックを紹介されたときも、その仲間にそういう話をしたんですよね。
 そうしたら、仲間から言われたのは、「あなたは、大事なものがいっぱいあるでしょう。家族とか、仕事とか、お金とか。じゃあ、そういうものが、今、どうなってるの?」って。
 そういわれてみたら、仕事もなくしてるし、家族とも・・・捨てられてはいなかったけども一家離散に近い状態だし、借金はあるし・・・何でそうなっちゃったのか、と言われれば原因は一つで「お酒」ですよね。
 「お酒の問題を第一に考えて、それをやめなかったら、いま残っている大事なものも全て失くなっちゃいますよ」って言われてね。初めて、頭を殴られたような気がしました。
 「お酒が原因で全てのことが上手くいかなくなっていた」っていうことに、改めて気づかされました。
 最初は「みのわマック」に行くつもりはなかったけど、とりあえず紹介してもらったし、一回だけ見学に行ってみようと思って「みのわマック」に行って、半日かそこら参加させてもらった。
それを家に帰って女房に、「行くつもりはないけど、自分はこういうところに見学に行ってきたんだ」って話をしたら「行ってください!」って言われちゃって。
「あなたが本当にやる気があるんなら、私は借金してでも応援しますよ」って言われたんですよね。
 もう、グウの音(ね)も出なかったですよね。それで「みのわマック」にお世話になることになったんですけど。
 今考えると、本当に良かったなと思うんですけどね。マックは、今もそうだけど1日3回ミーティングをやるわけでね、当時はいっぱいいたんですよ、通っている仲間が。山谷(さんや)の仲間とかもいっぱいいてね、山谷の仲間の話を聞いてみても「自分はまだ山谷までいってない」とか思ってましたけど、話を聞いてると飲んでやってることとか考え方とか一緒なんですよね。だけど、皆そういうことをやりたくてやってたんじゃなくて、お酒が原因で結局、「生き方」、「考え方」、「行動」が病的になっちゃうんだって言う。
なかなか自分を振り返ることが出来なかったけど、マックに行くようになって、いろんな『気づき』、自分もそういうことをやっているとか、そんな気づきをもらって、やっと自分の振り返りが出来るようになっていった。
それと一緒に「病気の理解」というのが出来てね、それが大きかったと思いますね。当時、まだミニーさんが日本にいたんですよね。それで何回か司会をしてもらったんですけど、その中でミニーさんが「この病気は、意志が弱いとか、だらしがない、とかじゃなくて体質的に依存症になりやすい人は、お酒を飲み続けているとコントロールが出来なくなって、それでやめられなくなっちゃうんですよ。そういう病気なんですよ」って話をしてくれたんですね。それが自分にとってはね「ああ、そうなんだ。病気なんだ」って初めて病気の理解ができて、病気だから自分のやりたくないことをやってしまったんだ、ということが理解出来てきた。
それから、色んな仲間の話が聞けて、自分の振り返りができて・・・1ステップの「無力」っていうのはそういう言葉じゃないけど、自分じゃどうにもならないのは、もう分かっていてAAのミーティングで仲間に会って、その仲間を信じられたんですよね。「ああ、この人は飲んでない。こんなにひどい経験をしたのに飲んでないって」今考えればAAでいう「自分以外の力」、「神の力」とか「ハイヤーパワー」とかいうけれど、そういう不思議なものがあって、この人たちはやめてるんだろう。「じゃあ、それは何だ?」とかは分からないし、自分でどうすることも出来ないけれども、もしかしたら自分も一緒にやっていったらやめられるかもしれない、任せてみようって気になったですよね。自分の考えじゃなくて。
要するに、マックも含めてミーティングに出て、やってみよう、委ねてみようと思った。やめられるかは分からないけど、それまでは自分の力でやめようとか思っていたけど、この人たちがやめられたんだから、もしかしたら自分もやめられるかもしれない。じゃあ、信じて任せてみよう・・・要するに『お任せ』することが出来たんですよね。
 それで、とりあえずミーティングを毎日、続けてみようということで、だから自分にとってのステップ1,2,3ですよね。――マックのプログラムも当時はステップ1,2,3の繰り返しでしたからね。
それで、あらためて自分を振り返ってみたら「ああ無力だ」っていうことを感じられたし、そういう仲間を信じられたし、信じられるものが出来た。。
プログラムはまだ理解してないけど「やってみよう」というか、「任せてみよう」というか、「行動してみよう」というそこが、自分のステップ1・2・3だったと思うんですよね。
ただ頭で考えてるだけじゃなくて、行動することが出来たからね。
仲間に会って話を聞いて、自分の振り返りも出来て・・・それをやっている中で、今まで見えなかった自分の問題――「酒だけが問題」だと思っていた自分が、そうじゃない。「酒だけが問題じゃない」ということに、だんだん気付かされてきたんですよね。やっぱり自己中心的だったり、自我が強かったり、人を受け入れなかったり、そういう自分自身のいろいろな問題点、欠点というかね。これも後からよくわかるんですけど、この病気は、よく遺伝性があるとか言われていて、自分の父親が――昔のことだから依存症とは言われていないけど、アル中だったんですよね。その父親を見ると、飲むとおかしくなるんですよね。家の中で夫婦喧嘩をしたり、暴言を吐いたり・・・子供の時は嫌でしたね。それで、親父は酒を飲むからああなるんだ、自分は大人になっても絶対、お酒は飲まない、と思って育ったんだよね。ところが、そう思った自分が、じゃあなんで飲まないと思った酒を飲むようになったか?
要は、そういう家庭で育ったから自分自信をうまく表現できないというか、全部、心の中に仕舞い込んじゃう。自分の考えや意見を言ったりできない、当然、人ともうまくコミュニケーションできない。要するに現実から逃げちゃうというか、現実をちゃんと受け止められない、そういう色んな自分の問題点とかを気付かせてもらったんですよね。飲まないと思っていた自分が、何で飲むようになったかと言ったときに、子供の頃のそういう影響も、依存症という病気の直接の原因ではないんだろうけど、多分、影響しているんだろうな、と思いましたね。
 そういう自分が20歳を過ぎて、友達と少し飲むようになって『酔う』っていう感覚を覚えたんだよね。ふんわりした気分になって、今まで言えなかったようなことが言えたり、人と話ができたり、そういうことが苦手だったのに酒を飲むと出来るようになって、これから人生を生きていく中で、自分の手助けになるんじゃないかって。ただ、そういう中にも「親父みたいになりたくない」というのはあったんだけどね。でも今考えれば病気だから、自分で気付かないうちにどんどん進行して行ったわけですけど。
ミーティングを通して、自分のそういう色々な欠点が分かってきて、そういうものもお酒が必要になる原因じゃないかって。まあ病気としては「一杯飲むと止まらなくなる」って言うのが主な症状なんでしょうけど、それが分かっていても飲んじゃうって言うことも。依存症という病気とはまた別の自分の問題なのだ、と気付かされたんですよね。現実を受け入れられないとか、現実から逃げちゃうという自分の弱さ、無力さ、そういう色んな自分の問題点を、やっと気付くことが出来たんですよね。それが自分の棚卸し、「ステップ4」ですよね。
要はミーティングの中で仲間の話を聞きながら、自分の振り返りが少しずつ出来て、そういう積み重ねがステップ4を書く元になって・・・結構、AAでメモとっちゃダメとか今は言われますけど、ミーティングで仲間の話を聞いて共感するところがあると、箇条書きにしておいたんですよね。それが、棚卸しの時に役立ちましたね。
自分勝手とか、自我の強さとか、怒りっぽさとか。怒ってばっかりだったですね。そういう欠点・短所を、自分自身と、神と。もう一人の人に対して・・・まあステップ5ですけどね。それをやらせてもらったときに、ああやっぱり自分は酒だけの問題じゃない。今まで気付かせてもらった短所や欠点を、改めていかないと、またお酒に戻っちゃう。それが分かるのが4・5なんだと思うんです。
 それで済むわけじゃなくて、次はステップ6・7になるわけですけどね。
色んな短所や欠点に気付くわけですけど、それをそのままにしておいても良くなるわけじゃないんですよね。
だけど、「気付く」と「気付かない」とでは大きな違いだと思います。
 飲んでる間は、そんな欠点が自分にあるとは思ってもみないわけですから。
だから気付いたことが自分にとっては大事なことでね、それはすぐに健康的な考え方、生き方に変えていかないとならないと思いましたよね。それを、神に委ねる・・・これが7のステップですよね。
 要はそういうことで、4・5で棚卸しをして、6・7で自分の整理が少し出来てきて、8・9っていうのは埋め合わせですね。
 AAの12ステップはよく出来ているなって感じますが、自分はすぐに埋め合わせをしたかったんですよ。
まずAAにつながったとき、しばらく酒をやめたときに「俺はもう酒はやめたんだ」っていう気持ちが高ぶってね、今まで迷惑をかけてきたこともある程度分かってきたから「早く埋め合わせしなきゃ」とか思ってましたけど、そんな簡単なものじゃないなって言うのがね、後になってわかりますよね。
 いかに周りを傷つけてきたか、とくに家族ですよね。家族だけに限らず、友達だとか、職場の人だとか、隣近所の人だとか「色んな人に迷惑をかけてきた」ってことにも気付かなくって、それをまず自分で気付いて、「変えて下さい」って神様にお願いするわけですけど、ただお願いしたからって変わるわけじゃないですよね。
 もちろん、これまでは気付かなかった自分自身の問題点とか、気付いただけでも全然違うと思うんですよね。じゃあ、そういうものをもっと健康的に変えていこうっていう努力をしていかなきゃならない。まず、自分自身の整理が出来ないと、埋め合わせなんか出来ないんですよね。
 埋め合わせってね、やっぱり言葉で「ごめんなさい」って言うことだけじゃないんだと、だんだん気付かされましたね。
 家族なんてね、お酒を暫(しばら)くやめていたからって、全然、信用してくれないんですよね。今までずっと嘘をついて、裏切ってきたわけですから。要は「自分自身の生きざま」ですよね。
お酒のない生き方に、いかに健康的に変えていけるか、っていう、まあそれが6・7でしょうけど、そういうものを周囲に見てもらって・・・見てもらってというか、そういうことを少しずつ信じてもらう、そういう風にしていくことが埋め合わせなんじゃないかな、って自分は思いますね。
 言葉で「ごめんなさい」とかね、「ご迷惑をおかけしました」って言うのは簡単だけど、そんな問題じゃないですね。とくに家族の場合は。時間はかかるけど、きちんと埋め合わせしていく。それには、自分の普段の生き方を健康的で、あまり問題を起こさないようなものにしていかないと・・・そんな風に思ったんですよね。
 それで自分の整理が終わって、埋め合わせも――まあ、直接埋め合わせをする人もいるでしょうけど、例えば友達とか、職場が一緒だった人とか、埋め合わせも必要でしょう。けれども「家族に対する埋め合わせ」っていうのは自分にとっては一番難しいというか、大変な作業だと今でも思ってますね。
 そういうことで、まず自分の整理をして埋め合わせが出来るところは埋め合わせをして、それでステップ
10・11、「日々の棚卸し」ですね。
例えばお酒をやめたからって、問題が起こらないわけじゃない。自分の短所・欠点が消えたわけじゃないから、問題は起こりますけど、そういう日々の生活の中で少しずつ自分の振り返りをして、その辺を神に委ねて変えてもらう、そういうことが出来るようになってからステップ10・11「日々の棚卸し」ですよね。
 自分も最初は神とかハイヤーパワーとか「何なんだ、それは?」と思ってましたけどね。
考えてみると、やっぱり自分は無力で小さい人間で、そういう自分が今、お酒をやめることが出来て、お酒を
必要としないで生きていける、って言うのは自分以外の色んな力――それは神様の力であったり、仲間の力であったり、プログラムの力であったり、そういうものが自分を手助けしてくれているんだなあ、と今でも感じてますよね。今まで出来なかったことが、出来るようになったわけだから。
 それは自分自身が少しでも、そういう目に見えないものを信じることが出来て、委ねることが出来たからそういうことが出来たんだと思うんですけどね。
 そういうことで「日々の棚卸し」とかもしながら、少しずつ問題のあまり起こらない――楽な生き方が出来るようになったと、今は感じていますよね。それでステップ12になると、それを「伝えていく」って言うことで、「無償でもらったものは無償で返す」とかよく言われますけど、自分もそういうものは無償でもらったんだよね。色んな仲間であったり、プログラムであったり、マックもその中に入るんだけど・・・。
 だから自分自身もそれを伝えていく。まだ苦しんでいる人がいっぱいいるわけですから、伝えていくことが自分の今の「使命」というか・・・ちょっと大げさかもしれないけど、「使命」かな、って感じているんですよね。
 幸いなことに自分はAAにつながった当時、仕事がなくてマックに通って、仕事に就くことができて、それからミーティングに出ながら、定年になるまで同じ仕事を続けられたんですよね。
 自分は、かつてはいろいろ仕事を変えて、言い訳ばかりしてましたけど、考えてみれば全てお酒が原因で、仕事を変えてきたけど、でもお酒をやめてから就いた仕事は19年間も続けることが出来たんですよ。
 これはやっぱり不思議ですよね。その仕事自体、マックの提案がそうだったんですけど、まず第一に「残業のない仕事」を見つけるように、って言うね。その当時、求人も結構あったんですけどマックの提案があったからね、大体、面接に行って「残業は出来ないんです」って言ったら、ほとんど断られましたね、向こうから。
 それでもそういう中で一つだけ、朝早いので自分としては行きたくないな、と思うところがあったんですけど、そこから「来て下さい」って言う連絡があってね、その仕事に就いたら、続けることが出来ましたね。
 なぜ、続けられたかというとね、まず飲んでなかったからですよね。なんで飲んでなかったのかと言えば、ミーティングに出られたからですよ。朝早い分、遅くても午後4時くらいには終わる仕事だったからね。そういうのも今考えれば不思議で、自分で望んだ仕事じゃなかったけど、そういう仕事が与えられて、飲まないことを続けられてAAに出ることが出来て・・・。
 それで定年になった歳に、前から埼玉にマックが無いので作ろう、っていう話があって、その準備とかも
「みのわマック」の職員さんに手伝ってもらったりしていたんですけど、定年になった歳に「埼玉マック」が出来たんですよね。それで「手伝ってくれないか」っていう話がきて、今度はそこのスタッフとして、仲間の回復のお手伝いをさせてもらうことになったんですよね。
 そういうことを考えると、すべてが与えられたって言うか不思議なことに、自分で希望したわけじゃないんだけど――まあ、神様でしょうね。神から与えられたものなのかな、っていうね。
 だから自分自身もマックであったりAAであったり、その中で気付きをもらったものですから、その中で仲間の回復の手伝いをさせてもらう、そういう仕事が与えられて、本当に今は色んなところに「感謝する」って言う気持ちで、一人でも多くの仲間の回復をお手伝いすることが出来るって言うことが、最終的に自分の使命かな、っていうことを感じていて、幸いなことにそういう仕事が今日まで与えられている。だから、そういうところに感謝しながら、まず自分が飲まないことが大事ですけど、それが「どうして飲まないことにつながったのか」っていうことを、一人でも多くの仲間に伝えていければいいなって、それが自分にとっては12ステップかなって今、思っているんですね。
 まあ本当に、いま考えても不思議なことで、命が助かったことから始まって、自分で選んだわけじゃないけど、AAとかの出会いがあって、マックとか・・・そういうことがあって自分自身が飲まないことが続けられて、ありがたいと思うし、感謝を忘れちゃいけないと思うし、それはただの感謝じゃなくて、少しでもお返しが出来ればいいな、っていう風に今は思ってます。
 
みのわマック

施設種別:障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所
事業所番号:1311701377
〒114-0023 東京都北区滝野川7-35-2
電話:03-5974-5091
e-mail: minowamac@japanmac.or.jp
みのわマック
障害福祉サービス
自立訓練(生活訓練)事業所
事業所番号:1311701377
〒114-0023
東京都北区滝野川7-35-2
電話: 03-5974-5091


コンテンツに戻る