STUFFs2 - みのわマック

みのわマック

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 まず自分のステップ4・5ですけど・・・今は表を使ったりして、色んな4・5のやり方がありますけど、自分の頃はそういうのがない時代でした。自分の場合は大学ノートを買いまして、年代順に起こったことを書き出してその当時、どういう状態だったとか、周りはどうだったとかね、対人関係がどうだったとか、そういうことを書いていったんです。
 自分の場合は子供の頃――記憶の始まった頃から書き出していきましたね。
ステップ5はスポンサーにお願いしてスポンサーに聞いてもらったんですけど、4の場合は、・・・自分自身はマックに来たことが、4をやるにも非常に役に立った。
人間の脳は元々、自分に都合の悪いことは構造的にも忘れるように出来ているらしいですね。だから、自分で飲んでやってきた行動とか、自分に都合の悪いことは記憶から消えているっていうか、都合のいいことばかり覚えているんですよね。
だから自分も最初、酒を飲んで、家族をはじめとして色んな人に迷惑をかけたとか、傷つけたとか・・・多少はあるけども、そんなに酷(ひど)いことはやってない、とか当初は思っていましたね。ところが、ミーティングに出て仲間の話を聞きながら、少しずつ、自分のやってきた行動だとか、生活態度とかを振り返ったときに、これは大変に――自分が思っていた以上に周りを傷つけていたんだな、ってことが分かりましたね。
 色んな人に迷惑をかけて傷つけてきたんだけど、一番の被害者は多分、家族だと思いましたね。家族に対して本当に自分のことが中心で、その中でも酒中心の生き方をしてきたために、色々と嘘をついてきたり、迷惑をかけてきたり、そういうのを気付くようになりましたね。
 それと子供のころのことを振り返って・・・よく、この病気は遺伝性のものがある、って言われているけど、自分の場合は、多分父親が――まあ今でいえば、アル中だったんですよね。毎日飲んでましたし、自分の記憶の中では、家に焼酎が甕(かめ)で買ってありましたからね。今はないでしょうけど、甕があって、その中にどの位だか?相当入ってたでしょうね、それに絞りがついているのね。
 多分、自分はその体質――何かとコントロールが出来ないって言うね――それを継いで生まれてきたんだと思いますね。振り返ってみると、「どうしてアル中になったの?」って言われるけど、なりたくてなったわけじゃないけど、そういう体質的なものをもって生まれて、もちろんそれだけでもなく自分自身の問題もあって、酒にのめり込んでいったんだろうな、と思いますよね。
 だから、親父は毎日飲んでましたし、飲むと、話がくどくなったり、夫婦喧嘩をしたり・・・家庭の中が、なんだか自分の居場所が無いような、そういう感じでしたよね。自分はそういう父親を見て、酒を飲むからああいう風になっちゃうんだから、自分は――子供の頃は――「大人になっても酒は飲まない」っていう考えで育ってきたんです。
 それと色んな家庭環境とかも多少は影響してるんだろうと思います。自分の場合は、生みの母親っていうのが、自分がまだ3歳になる前に亡くなっているんですよね。なので生みの母親の記憶っていうのはほとんど無いんですけど当時、まだ昭和20年でしたかね。父親は徴兵で青森かなんかの海軍に引っ張られていっちゃって――そろそろ日本は敗戦の間際だったでしょうけど、そういう留守の間に母親は亡くなった、というふうに聞いてます。
 戦争が終わって――まあ、その辺の記憶はほとんど無くて、後から周りの人に聞いて知ったことですけど――その間は多分、父親の実家かなんかに預けられて育ったんだと思いますけどね。
 それで父親が帰ってきて――父親は商売をやってましたから、自分は長男として生まれて、母親が亡くなって、自分は姉と二人、姉弟でした。
 しばらくして父親が再婚した。まあ育ての母親が来たんですよね、そちらとの間に3人の子供が生まれて、義理の兄弟になりますが、自分も一緒に義理の母親に育てられた。
 自分が記憶しているのが、3歳になったとき多分、新しく母親ができるっていうので、喜んだ記憶があるんですよね。それはそれとして良かったんですけど。
 そういう複雑な家庭環境で育ったから、その影響もあったのかな、と思うんですよね。
父親がそういう状態ですから、自分は「大人しくていい子だね」なんて言われてましたけど、要は父親が飲むとひどいことになるので、自分自身はなるべく問題を起こさないようにしている・・・だから、自然と、自分の言いたいことも言えない、そういう育ち方をしてましたね。
 なので、いろいろため込んじゃう、って言うのがあったと思いますね。
 しばらくして、義理の弟たちができて・・・その頃は、母親ができて喜んでいたんですけど、小学校に入ったくらいに、友達が「お前の母ちゃんは、本当の母ちゃんじゃねえ」とか、「継母」だとか言ってその辺から、母親に対して意識するようになりましたね。特に自分は、やっぱり本当の子供じゃないから、弟たちとは違う扱いをされてるんじゃないか、とかそういう僻(ひが)み根性というか妬(ねた)み根性とかが芽生えてきて・・・そんな感じで育ちましたね。
 そんな感じで育ちましたけど、その母親が非常に世間体を気にする人で、長男の自分が家を継ぐんだということで・・・そうは言われても自分は本当は親父の仕事なんか継ぎたくないし、親父がそんな状態ですから、あまり好きじゃないというかね。「いや家業なんて継ぎたくない」、「俺はもっと他にやりたいことがあるんだ」とか、そういう考えが実はあったんだけど、本当のことは一切、言えなかったですよね。
 やっぱり、しょうがないのかなっていう・・・自分の言いたいことは言えずに、中にため込んで来たような気がしますよね。
 そういう育ち方をして、結局その嫌な父親の後を継いで、一緒に仕事をするようになったんですよね。
実は私はね、他にやりたいことがあって――本当は学校の先生になりたかったんだよね。
子供は先生から結構影響を受けますよね。小学校4年の時に、いい担任の先生に出会って、そこから割と勉強もできるようになって、常に上位にいるような、勉強が好きになったんですよ、その先生のおかげでね。それで、これまで家庭で感じたことのないような「愛情」っていうのを、その先生から感じて、「先生っていいもんだな」って思って、将来先生になりたいなってことで、勉強もするようになって、成績も上がってきて・・・そういう状況だったんですね。
 でもね、そういうことを親には言えないんですよね。常に親から言われていたのは、「お前は長男だから、高校だけは出してやるから、家を継ぐんだ」って。それに対して、いや俺はこうなんだ、っていう自分の考えも言えないし、まあ、しょうがないのかな、って思ってた。だから、段々こう――中学くらいまでは、受験もあるから勉強をして、成績も上位の方だったんだけど、高校に入ってからは、もうなんか全部諦(あきら)めちゃったんだよね。なるようにしかならないのかって、じゃあ、勉強したって・・・ということで、だんだん勉強もしなくなって高校には受かったけど、どんどん成績が悪くなっていきましたね。
 それと共に――そんなにワルにはなれないんだけど、悪い方の友達と付き合うようになっていったんですね。でも結局、根性なしだし小心者だし、中途半端でね。そんな生き方でしたね。
 その辺で、もう諦めちゃったんですよね。結局は、親と一緒に仕事をするようになったんです。
 相変わらず、父親は毎日酒を飲んでましたし、ひどい状態になっていきましたけどね、なんとか仕事はしていました。
 義理の母親は、やっぱり世間体を気にして、長男に家を継がせて、ちゃんと家に置くために、結婚も早くさせなきゃ、とかね思っていたみたい。
 自分も気持ちを上手(うま)く表現できないので、それまで女性とお付き合いすることも無かったんですよね。そういうことも諦めてしまって、どうせ自分が好きになった女性を連れてきても親がだめだっていうんだろうから、親が決めた相手と結婚すればいいや、と思っていてね。結局、そういうことになったんですけどね。
 親父と仕事を始めて・・・自分も20歳になるまでは、ほとんど飲まなかったですよね。高校時代に友達とイタズラ半分にウィスキーをコーラで割ったやつを、悪い方の友達から勧められて初めて口にしましたね。それまでも子供の頃から、「親父が酒飲みなんだから、お前も少し飲んでみろ」とかね、言われたことがあったけど絶対に飲まなかったね。それでも友達から勧められて初めて飲んだけど、まずかったね。なんだこりゃって感じだったね。
 父親と仕事をするようになって、相変わらず勧められても飲まなかったけど、20歳を過ぎて友達と付き合ううちに、年に2,3回程度、本当にお付き合い程度にお酒を飲むっていうことが始めったったんですよね。
 最初は飲んでも気持ち悪くなって吐いちゃったりしていたんですけど、何回か飲んでるうちに、少し飲めるようになって、はじめて『酔う』感覚を覚えたんですよね。酔ったら、自分が解放されたとか、自分が大きくなったような感じで、今まで人と上手く話しとかも出来なかったんだけど、お酒を飲んで酔うと、人との話も上手く出来るようになって、友達とも今まで話せなかったような話しも出来るし、特に女性とも今まで全然話しが出来なかったのに、酔うと話しができる・・・そんな感覚を覚えた。
飲まないと決めた自分でしたけど、『酔う』感覚、あれはやっぱり、まるで新しい発見をしたような・・・飲まないと思っていたけど、飲んで、今まで出来なかった「人と話す」とか「自分の考えを言う」とかが出来ると、もしかしたらこれから生きていく人生の中で、お酒が助けになるんじゃないか?っていうそんな風に考えが変わっていきましたね。酔う感覚を覚えてからね。
でも、まだその裏には「親父みたいにはなりたくないけど」っていう考えはありましたけどね。
それに飲むっていうのも年に何回か、付き合い程度のものだったんですけど、親が、早く結婚させたくて、決めてきて私は24歳の時に結婚したんですよね。
 相手は、親が気に入って・・・自分は、親が決めた人だったら、こういう複雑な家庭の中でも上手くいくんじゃないかって思って、自分の考えというより、親と面倒を起こさないような人であればいい、というか、そこでも自分の考えは入っていないんですよね。
 そんな感じで、親が気に入った人を紹介してくれて、24歳で結婚して結局、昔のことですから最初は同居ですよね。そんなに広い家ではないけど、同居することになったんです。
 自分はこういう家庭環境の中で育ったから、それが当たり前というか、そんなに特殊な環境だとは思っていなかったんだけど、女房は違ったんですよね。女房の家庭環境とは違うんですよ。
 別に親が酒飲みでもない、健康的な家庭に育ってきたわけですから、結婚して一緒に住むようになったらね・・・相当、辛かったみたいですよね。今まで経験したことのないようなね。自分はそれほど感じていなかったけど、酔って暴言を吐いたり、しょっちゅう夫婦喧嘩をしたり、そういうのを女房は初めての経験だったんですね。それで半年くらいして・・・当時、女房は仕事をしてまして、不思議なことに市役所の福祉課でケースワーカーの仕事をしてまして、その当時から結構酔っ払いの相手とかをよくしていたらしいんだけど、それでも、とんでもない家庭に入っちゃったという感じですよね。それでも半年くらいは我慢していてくれたんですけど、「私はもうこの家では務まりません。出ます」って言われちゃってね。 当時、自分でもこういう家庭がいいとは思っていなかったから、「じゃあ、自分も一緒に行くから出よう」って言って出た。それが24歳の時です。半年しか我慢出来なくてね。もう本当に何もいらない「着の身着のままで出よう」って言うことで、家を飛び出したわけですよね。
 それで、東京に出てきたわけです。その頃は自分も、お酒を常習的に飲んでいたわけじゃなくて、ほんの年に2,3回だったんです。だから、まだお酒の問題があったわけじゃないって言うです。
 夜逃げみたいな感じですよね、本当に着の身着のままで東京に出てきて、当時、東京にいた友達を頼って、小さな4畳半一間のアパートを紹介してもらって、そこで生活するようになったんですよね。
 そのころは結構、希望もあってね。父親は紳士服のテーラーだったので、私もある程度――6年程度仕事をやって、嫌な親父からも教えてもらってましたから、東京に出てきて、さっそく仕事を見つけて、仕事をするようになっていました。女房も自分と結婚したから、今までは洋裁の経験は無くて「自分も勉強したいから」って言うので夜、学校に行くって言う話になって。新宿にあった専門学校に行って、洋裁の勉強をすることになったんですね。
 そうやって、なんとか東京で暮らすようになって・・・まあ、自分はアル中になる体質だったんだって今は思うんですけど、その職場はですね、自分にとって良かったというか悪かったというか・・・1年くらいはお酒もほとんど飲まなかったですよね。当時は、飲みたいとも思っていなかったし、まず、生活をしていかなきゃならないから、仕事を見つけて、一生懸命働こうと思っていた。
 勤め先は大きな洋服屋さんだったんですよ。自分は縫製の方だったんですけど、販売店舗はあちこちの繁華街に数店舗ある大きな洋服屋さんだったんですね。だから、仕事は結構あったんですよ。ある程度稼げたし、女房もアルバイトをしながら学校に通うっていう生活が始まったんですね。
 でも、その職場っていうのが、全員じゃないんですけど毎日、仕事が終わると、何人か集まって集団で酒飲みをするっていうところでした。1年くらいは、自分はその仲間には入らなかったんだけど、どんなきっかけだったか忘れましたけど、たまには付き合えとか言われて、その仲間入りをするようになったんですよね。
 それからは、毎日です。「毎日飲む」って言う習慣が始まったんですよね。まだ自分から飲みたいっていう欲求は起きてなくて、お付き合いってことで、その仲間入りをして・・・でも今考えると、毎日飲むって言う習慣が身についてから、急激に病気が進行していった感じですよね。
要は自分でコントロール出来ないって言うかね。自分は酔わなかったんですよね。他の人は二杯か三
杯飲むと、ああもうこれで十分っていう風になるんですけど、自分はそうはならない。
 いつの頃からか分からないけど、自分の意志でやめるっていうことが出来なくなっているんだよね。いつも、もう一杯飲みたい、って言うかね。仲間と一緒に飲むんだけど、その場は終わりにして別れるんだけど、それから更に一人で飲む、飲み足りないからね。そういうことが、徐々に始まっていったんだよね。
 それが26歳くらい。その頃から毎日飲もう、というのが始まって、それからは進行が早かったですね。飲む量もどんどん増えていった。
 今考えても自分で「今日はこれでやめよう」とか思えないんですね。だから、泥酔するまで飲むっていうことになっちゃうんですよね。当時はまだ若いから飲んでも仕事も結構できたしね、二日酔いとかしても仕事には行けたりしていたんですけどね。段々、お酒のために問題が起こるようになってきたんですよね。 二日酔いというか、毎日、二日酔いじゃあ二日酔いどころじゃないですよね。
 その辺からどんどん進行して行って28歳位の時には自分でも「なんだかおかしいな」って気付いていましたね。
 他の人と飲んでも、違うんですよね。他の人はある程度のところで切り上げるんだけど、自分はそれが出来なくてね。一緒に飲んでも、別れた後、一人で飲みにいくとか、帰りがけに駅で飲むとか、そんなことが始まって。
 「何なんだろう?」とか、「どうしてこうなっちゃうんだろう?」とか。当時は病気のことなんて知らないしね。「おかしいな、自分は人とは違うな」って思いながら・・・どんどん、病気が進行していきましたね。
 だから、色んなところに問題が起こって来ましたね。
 自分は、飲むと食べないんですよね。飲む一方というか。だから、身体にも良くないんですよね。
結局、だんだん身体を壊すようになってね。
 最初は内科の病院に行ってね。だんだん身体がだるくなって、仕事を休むようになってきてね。病院に行くわけですけど、お酒をどれ位飲むのかと聞かれて――向こうは気づいているんでしょうけど――
「一日、三杯くらい」とか言ってましたけど。そんなもんじゃないですよ。よく覚えてはいないけど、2倍か3倍は飲んでいたわけで、何も食べないから、身体も壊しますよね。
 最初は肝臓でしたね。でも、ついた病名は「アルコール性肝炎」。先生はちゃんとわかっていたわけですね。
 そんなことで、身体を壊したり、仕事を休んだり、飲むために借金が出来たりね。いろいろ問題が起こるようになってきましたね。本当に病気の進行が早かったね。
 それで30歳前頃から内科の病院に入院が始まったんですよね。最初は、アルコール性肝炎ということだった。今考えると、その頃にもうアル中の症状が出てましたね。病院に入院して、その頃はもうほとんど何も食べてない状態だったから、病院で食事が出て、「みそ汁」を食べようとしてお椀と箸を持ったら、手がブルブル震えて「みそ汁」が全部こぼれちゃう。お酒も飲めなくなってましたから、完全に禁断症状ですね。
 そんなことで最初の入院では、まだ「アル中」とは言われなかったんです。内科の先生だから。でも、「あなたはお酒が問題だから、飲み過ぎないように。退院して3カ月くらいはお酒を休みなさい」って言われたんですね。
 自分でも飲み方がおかしいのは分かっていたから、「じゃあ、少し休もうか」って思った。
やめようとは思わなかったですよね。やっぱり身体に悪いし、休まなきゃって。
 病院に入院している間は、飲酒欲求とか乗り切れるんですけど、この病気の恐ろしさって言うのは、「休んで下さい」と言われて、自分でも休もうと思って退院するんだけど、すぐに飲みたくなっちゃうんですね。
 でも最初の時は、それから3カ月酒をやめる位はやってみたんだよね。でも、ただ飲みたい飲みたいでね。歯を食いしばって我慢しかない。
 でも、ただ我慢しているだけで「飲む」って言う前提があるわけですよ。先生が「3カ月」って言ったから、その間だけは我慢ということでね。指折り数えているんですよね。
 でも3カ月はもたなかったですよ。その少し前には「もうほとんど3カ月だし、試しにちょっと飲んでみよう」って。それで、また飲み始めて・・・それで一応、解禁になったわけだけど「今度こそ、飲み過ぎないように、量を決めて飲もう」とか始まるわけですよね。
 でもね、当時考えたのが「先生は1日1杯か2杯くらいがいいね」って言ったんだけど、それじゃ当然満足できないから、1日3杯飲もうとかね。それで、やるんですけど、やっぱり3杯じゃ我慢できなくて、もう1杯、ってことになるわけですよ。
 それでも「自分で決めたことだから我慢しよう」ってことで続けるけど、三日坊主とはよく言ったもんで、3日も経つと、もう1杯・・・。これが始まると、あっという間ですよね。あっと言う間に、3杯が4杯、4杯が5杯。元の飲み方に戻っちゃって、何カ月かすると病院に戻っちゃう。
 そんなことで、どんどん進行してましたね。最終的に35歳の時に、初めて精神病院に入院することになったんですけど、その時は、もう酒を受け付けない状態になっていて飲酒欲求はあるんだけど、身体が受け付けない状態で、そこで初めて「あなたはアルコール中毒です。病気です」って言われた。当時はまだ依存症とは言わなかったからね。
 「アル中」って言われても、自分はびっくりしなかったですね。「ああ、とうとうなっちゃったか」という感じで、ただ病気って言われても理解できなかったですね、当時はまだ。
 その頃はまだ「だらしがないとか、意志の弱い人がアル中になるんだ」と言われてて、自分は意志は弱くないのに何で病気になるんだ?とかね。
 当時は「どんな病気か?」なんてことも先生は説明してくれなくて、ただ、「アル中になったらもう飲めないんだよ。飲んじゃいけないんだよ」っていうことだけでした。
 だから病気が理解出来なかったけど、そこで3カ月入院させてもらっても、まだ病気が分かってないから「そんなはずはない、飲めるはずだ」っていう考えが抜けてない。それでも「酒を休まなくちゃ」というのは、1ステップとか、AAでいう『無力』を認めてとかじゃなくて、自分はそこで家族のことを考えたんですよね。子供が3人いて、一番上の子が小学1年生の7歳、5歳、3歳。これから子供たちが成長していかなきゃならないのに、私は何も出来なくて、精神病院に入院してる・・・これは流石(さすが)にまずいだろう。子供たちが自立するまでお酒はだめだ、とか休まなきゃ、とか思った――だけど、やめようとは思わなかったですね。
 それで初めて「取りあえずやめようか」と決心して、やめる方向の考えを持って、病院を退院したんですよね。でも、この病気の恐ろしいところでね、いくら自分で決心しても、退院して『酒』っていう看板を見ただけで、体中から飲酒欲求が湧(わ)きあがってくるんですね。
今はそういう病気なんだって分かりますけど、その時も飲まなかったですけど、それは病気を理解したとかじゃなくて、子供たちが何とかなるまで少し休もうって言う感覚で病院を退院したんだよね。
でも、退院したらそういう状態ですよね。だから、我慢ですよ。我慢、我慢で。
 とりあえず自分はそれから、我慢・我慢で5年位やめていたんですけど、自分が当時思っていたことは、「自分は酒が問題で、酒さえやめれば何も問題なく生きていけるだろう」と思っていましたけどね、そうじゃなかったですね。
毎日、苦しいんですよ。まず飲みたい欲求があって、それを我慢するわけですから何かに当たり散らすわけですよ。家族や周りにあたってみたりするわけですよね。
自分自身は、ただ酒を飲まないでいても、全然楽にはならずに毎日、苛々カリカリしている生活でね、苦しかったですよ。
でも、そんなことを言いながらね、ある程度お酒をやめることが出来て、苛々も少しは良くなってね、仕事もできるようになったりして。その5年ほどやめてる間に、結構いいことがあったんですよね。
それまで買えなかった家も買えたり、子供たちもある程度問題なく成長してくれたし――当然、自分だけじゃなく女房も働くようになっていたけど。ただ物質的にはそういう、いいことがあったんですけど、自分が楽になれなかったというかね。
 結局、再就職した会社が3年半くらいで倒産しちゃったんですけど――アル中になる人は結構まじめな人が多いとか言われて、仕事は一生懸命やるんですよね。だから、取引先の社長が自分を見ててくれて、倒産したんだけど「じゃあウチに来なさいよ」ってことで雇ってくれたんだけど結局、自分が分かっていないって言うか、いま考えれば、全然業種も違うし、経験のない仕事なんだけど、当時、自分は何でも出来るんだって思っていて・・・これも自分の欠点ですけど、他の人に相談したり、助けを求めたり出来なかったんですよね。そういう自惚れというか何かがあって、全然違う仕事だし、経験もないんだから、上手くいく訳がないんだよね。それを相談したり、お願いしたり、助けを求める、ってことが出来ないで、自分一人でやっちゃおうっていうかね。
そんなことで今度はワーカホリックですよ。夜の11時とか12時になるまで働いて、それでも通うという、そういうことが約1年続いたわけですよね。その間、どうにかお酒もやめていたんだけど、本当にもう疲れ果てちゃって、最後にどこに行ったかって言うと、気付いたら1杯飲んでいたんですね。
缶ビールでしたね。
 1杯飲んで「失敗した!」と思ったんだよね。5年位やめてたからね。だけど、この病気が恐ろしいのは、失敗したと思ったらそこでやめればいいのに、飲まない時はある程度飲まない方向の話が耳に入ってきたし、そのような考えも出来たけど、飲んだ途端に飲む方向の考えにコロッと変わっちゃいましたね。
 色んな話を聞いて「この病気は何年やめていようと1杯飲んだらひどくなりますよ」とか「精神病院に入院するようになるよ」とか「死んじゃうよ」とか、そういう話を聞いて、飲まない時は「ああそうなんだ、そういう病気なんだ」って考え方が出来るんだけど、自分が1杯飲んだ途端に、考え方がコロッと変わっちゃいましたね。
でもね、自分は「今まで知識が無かっただけで、飲み過ぎちゃったんだから、今度こそうまく飲める」そういう考え方ですよ。だから、最初は1週間に1日だけ飲むつもりが2日になり3日になり、飲む量も1杯が2杯になり3杯になり・・・結局、半年も持たなかったですね。流石(さすが)に途中で気付きましたよ。確かにこのままじゃ元に戻っちゃうって。だから、何とかしようとするんだけど、そのサイクルに入ったらもうダメですね。逆にどんどん酷(ひど)くなって、半年後にはどうにもならない、前より酷くなってね。何も出来なくなって、そうだ精神病院だって。酒の飲めない環境に行かないと止められない、と思ったからね。あれ程、自分が嫌だった精神病院に自分から入院させてもらったんですね。
 それから2年半の間に、思いもしなかったことですけど4回も精神病院を出たり入ったり・・・取りあえず入院すると止まるんだけど、長続きしないんですよ。自分の本質が変わってないからね。
 大体、飲むのは怒りでしたね。人との係りの中で怒り――家族もそうだし、職場に行ってもそうだし、そういう人間関係の中で怒りが出て、1杯飲んじゃう。1杯飲むと止まらなくなっちゃう。いくら意識してやろうと思っても出来ない。どんどん進行して行っちゃう。結果的には2年半で4回も入退院を繰り返して、最終的には、本当に何も出来なくなっちゃいましたね。それで、生きる望みも希望も全て失くしてして、最後は「死んじゃおう」っていうところにいった訳ですけど。
そういう自分の4ですよね。当時はそういう問題が自分にあるって気付いてなかったんですよね。
そういう自分に気付かせてもらったのは、5・・・後に自分はAAにつながるわけですけど、その後ですよね。それと一緒に自分は仲間に紹介されてマックに行って、1日3回ミーティングをするようになって、そこからですよ、自分の振り返りが出来るようになって。
 最初に言ったように、人間は自分に都合の悪いことは忘れちゃう。だから、そういうことのほとんど、自分は記憶に無かったけど、仲間の話を聞いてると、思い出すんですよね。例えば、万引きして飲んだとか。「自分は万引きなんかしてない」と思っていたけど、してるんですよね。金がなくて、だけど飲まなきゃいられない・・・もう盗むしかないんだよね。そういう風に、自分の記憶にないことを仲間の話からいろいろ気付かせてもらって、やっと自分の振り返りが出来て・・・それが4ですよね。いろんな事が分かってきて、それと一緒に、「ただお酒が問題じゃない」っていうことをね。そういう中で、自分は気付かされましたね。
 「待てよ」と。自分は、「酒だけが問題じゃないな」っていうのはね、やっぱりステップですよね。
4をやって初めて気付かされたんですね。だから、自分自身の5はそういう形でスポンサーに聞いてもらったんですけど、スポンサーも同じような経験をしていてね、「ああ、自分もそうだよ。ただ、こういうのは自分がやりたくてやったわけじゃなくて、問題はあるだろうけど、やっぱり1番の原因は病気で、病気があるから、こういう問題を引き起こしちゃうんだ。それは自分も一緒。だけど、そこからちゃんと回復――成長が出来るんだよ」っていうことを教えてくれましたね。
まず自分の事をちゃんと見つめることが出来れば、自分の問題点とか欠点に気付かせてもらえるから、そこを少しずつ、いい方向に行くように生き方、考え方、行動を変えていくことが出来れば、回復、成長が出来るんだよ、と。だから、そのために一緒にプログラムをやっていこうって、そういう風にスポンサーは自分に伝えてくれて、それで自分は初めて「そうだ自分は生き方、考え方を変えなきゃダメなんだ」と。
 今までは、そういう欠点とか問題点に気付いてなかったから、変えようが無かったんですよね。
だけど、やっぱり気付いた以上――6・7でも自分の短所・欠点を神様に変えて下さい、って委ねるわけですけど・・・いま考えると4・5も大事ですけど、6・7のステップがすごく大事ですね。ビッグブックを見ると、わずか何行で終わってますけど、自分にとってはこれが一番大変でしたね。そこで神様に願ったってそれですぐ変われる訳じゃないからね、そのための努力をしていくことが、ソブライエティを続けていくことに必要なことだと思うしね。それも一度に出来るわけじゃないから、それを常々、生活の中で実践していくことが大事なことだって気付かせてもらいましたね。
 それもやっぱり、4・5をやって自分の問題点を気付かせてもらって、そこを変えていく必要がある。それは一人では変えていくことは出来ないから、仲間と一緒にスポンサーをはじめいろいろな気付きをね――自分のことは分からないけど、人のことは結構わかりますからね。人の欠点って良く見えるんだよね。以前はそういう欠点を見たら、「ああ、この人は」とか思っていたけど、今までと違うのは、人の欠点が見えたときに、「じゃあ、自分はどうなんだ」っていう、自分の振り返りが出来るようになった。自分も同じようなことをやったり考えたりしている訳ですよね。だから、やっぱり仲間って必要なんだっていうかね。一人では、なかなか自分の問題点に気付けないけど・・・。
 気付けたら、なかなかすぐには変えられないけど、変えていく努力を日常生活の中で少しずつでもやっていけば、回復や成長につながるんだ、ということを少しずつ気付かせてもらいましたね。
 自分が仲間の5をやらせてもらって思うのは結構、自分のことではなく家族や周りや他人のことに対する恨みつらみとか、そういうのが主の仲間がいます。じゃあ、自分の行いがどうだったか、というのが薄くて、人に対しての恨みだとか言い訳だとかが多いんですけど・・・それも、もちろんあったんでしょうけど、だからと言ってそのままの生活を続けていていいのか、っていうことですよね。よく「恨み、妬みから、いいものは何も生まれない」って言うんだけど、結局、恨みとか妬みっていうのは必ず何か原因があるわけですよね。ただ、何もないところにあるわけじゃなくて。じゃあその時に自分はどうしたのか、他人を責めるばかりじゃなくて、その原因に「自分はどう変わっていったんだろう」っていうところが大事だから、自分の側を見ていかないと、なかなか回復や成長に結びついていかないよ、っていう話を自分は聞かせてもらったし、仲間にもそう伝えています。
 だから「自分はいかに正直になれるか」ってことが大事だと思います。でも、仲間の中だから正直になれたんですよね。同じ経験や思いをした仲間だから、何を話しても受け入れてくれるし、自分の気付かなかったものに気付かせてくれる。そういうことが、4・5につながっていくんだろうと思います。
 
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施設種別:障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所
事業所番号:1311701377
〒114-0023 東京都北区滝野川7-35-2
電話:03-5974-5091
e-mail: minowamac@japanmac.or.jp
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